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 2018/08/20 政治家と政治屋
 
 『政治家』というのは、国や地方自治体に所属する人民に選出され、その地盤を担って管下の政治を行う人のこと、と私は思っている。
 
 私の手元の辞書をひくと、政治家を以下のように定義している。
 
@ 政治を行う人
A 職業として政治に携わっている人
B 政党政治で活発な人
C 行政の指導的立場にある人
D 駆け引き上手な人。策略をめぐらす人
 
 ただこの辞書には、姿勢や人柄というものが定義されていない。
 
 ここで一番大事なのは、何を背負って上記@〜Dを執り行うのかということだと思う。選出された地盤の上に立って、選出してくれた人々の生命や財産を守るように行動するのは当然だが、それだけでは片手落ちである。
 
 政治家の視野として、その自治体全体から、それを包括した大きな自治体、そして国(大きくは全世界)を見通して、それらがより向上するように行動をとるのが、私の思う本来の政治家だ。これらには、官僚や公務員の方たちも含める。
 
 それに対して、自分自身や選挙区の後援者、利益団体の方向だけを向き、利益・利権のみを追求して、他方で不利益を被る人々のことは一顧だにしない、そんな人を私は
政治屋と呼びたい。多数派政党に籍を置きながら、その内部での意見の相違はなぁなぁで妥協し合う人、つまり「政治屋」がとても多いと思うのは私だけだろうか。
 
 最近の政治の世界には、これらの私利私欲に長けた「政治屋」がはびこっていて、ほんとうに政治を行う姿勢の「政治家」が、とても少なくなっているように思うのだ。とかく政治屋は、自分の施策や報酬が、人々が直接または間接に収めている税金によって賄われていることを忘れがちである。
 
 マスコミも、目立つところは一時的に報道はするものの、報道の自由まで奪おうとする強引なやり方にさえ、強くは批判しなくなってしまった。

 
 人々は、それらの状況を批判はするものの、その為政者を選出する選挙の投票にはしらけて出ていかない(投票率の低下)ために、相変わらずの利権屋が当選して横行を極めることに、気づかないのだろうか。
 
 沖縄の基地問題や、最近多発する重大災害など、すぐに対処しなければならない問題点が山積みである。この国土や人民を守っていくべき為政者が、しっかりとした『政治家』として動いてくれることを願って止まない。