2014.05.03 義兄 旅立つ

● 5月3日早朝、妻の参兄から、未明の1時56分に長兄が亡くなったとの電話が入った。遺体は既に自宅へ運ばれたとのことなので、午後に訪問して参拝してきた。

IMGP4652-600_400

● 義兄は、北大卒業以来札幌市に勤務し、穏やかで、配慮の行き届いた世話好きな人だった。札幌市を引退後、4年前に体調を崩し、近くの総合病院に入退院を繰り返していたが、2年前に悪化。入院して胃に直接管を入れ、食事や水分を摂るようになっていた。義姉がほぼ毎日通っては世話をしていたが、大変だったと思う。
● 私達が見舞いに訪れたときには、妻のことはかすかに認めたようだが、私のことは分からなかったようだ。しかし亡くなる1週間ほど前に、昔の勤務先の同僚や部下が見舞いに来てくれた時は、大変喜んだそうである。
● 5月2日の誕生日に79歳を迎え、そこまで頑張ったように翌未明、静かに息を引き取ったという。見た目にはずっと苦しまなかったのが、唯一の救いだと義姉は言っていた。

● 4日の通夜、5日の告別式と火葬には、本人の姉、次兄、参兄、妹(私の妻)とその家族が参列し、函館などから駆け付けた義姉の妹達6名を含む約35名で、家族葬を行った。4日の通夜には、私達の娘も子供たちを連れて参列してくれた。
● 私の父、生母、弟は浄土真宗で戒名を頂いており、養母はブロテスタントで洗礼を受け、今は札幌市内に求めた市営墓地で仲良く眠っている。
● 私達にプロテスタントの洗礼を授けて下さった牧師は、他宗教の葬儀には参列はするが、線香上げや焼香はせず、一礼だけして帰ると言っておられた。しかし私達は、古くからの宗教・宗派にこだわらない日本的な思考から、仏教や神道の葬儀にも参列する。
● 今回の日蓮宗の葬儀でも数珠を持ち、焼香をしてきた。僧侶の講話の内容にも、うなずける所が多々あった。

カテゴリー: 思い出, 日々つぶやき パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA