母校訪問

 昨日、私の出身中学の同期会があった。北海道学芸大学附属札幌中学校第9期。転校していった数名も含め、2クラスで128名。3年間持ちあがりの担任の先生が2名。そのうち1名が亡くなられ、1名は95歳で東京でご健在である。
 1957(昭和32)年卒業の生徒のうち19名が亡くなり、6名が住所不明。残る103名のうち26名が集合。台風のため羽田からの飛行機欠航で、2名が参加できなかった。欠席者の中には、存命だがもろもろの事情で参加できず、伝言を寄せてきた者も多かった。
 中学の校舎は、当時は大学や附属小学校を含めて藻岩山の南東麓にあった。歴史をたどれば、1886(明治19)年の札幌県師範学校附属創成小学校開校から始まるという。
 私達の卒業後、1966(昭和41)年に大学名が北海道教育大学と改称したことで附属小・中学校も改称。そして1988(昭和63)年に、札幌市北東部の北区あいの里に新校舎を建設して大学と附属小・中学校が一緒に移転した。
 きょう、そのあいの里の校舎を同期生9名と共に訪問した。私としては、この校舎を訪れるのは初めてである。この中学校の象徴であり、校章にも使われているフジは、今まで数度の移転・移植に耐え、樹齢100年を超えて緑を茂らせていた。

IMGP5975-600_300中学校校舎 この右側に体育館を挟んで小学校と大学の校舎、左側に特殊学級

IMGP5972-600_300a左側が、樹齢100年を超えるフジ・その他は予備として植えられたフジ・ 右下が校章

 この小学校・中学校の校長は、私達の時代には1名で兼任しておられた。今回、中学校の校舎では、中村副校長が校長室で最近の説明をして下さり、保管してあった毎年発行の「もいわね」を見せて下った。我々が1年生の時に1号が始まっており、3年生の時の3号に私が投稿した詩が「巻頭語」になっていたのを懐かしく読んだ。この3号は、若い頃に親戚に紛失されており、非常に悲しい思いだったので、副校長に後日コピーのために貸して頂くようにお願いした。そのあと校内を案内して下さった。
 さらには案内を小学校の紺野副校長に引き継がれ、小学校の校内を案内して頂いた。驚いたのは、4年生のフロアのホールで、100名程の生徒が待っていて、校歌を歌ってくれたのだ。私達10人は、この合唱に感激した。私達の記憶の底から、曲も歌詞も昔と変わらず、自然によみがえってきて、思わず一緒に歌っていた。57年ぶりだった。校長室に戻ると、副校長から2006年発行の「開校120年誌」を頂いた。2年後には開校130年記念のイベントを検討しているとのこと。私達も何らかの貢献をしたいと話し合った。

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