手稲山を望む

 自宅から1キロほど東の福井地区から、手稲山(標高1,023.1メートル)の山頂が見える。ほかの市町村と境界を跨がず、札幌市内にある独立峰としては、札幌岳(標高1,293メートル)に次ぐ2番目の高さである。
IMGP8185-600_400 この山は登り易い山として、登山道も複数あり、自宅の西奥の平和の滝に南登山口がある。また北斜面には、1972年の札幌冬季オリンピックの前後から広くスキー場として開発され、今も下部のテイネオリンピア、頂上直下のテイネハイランドが利用されている。雪のない時期には、ゴルフ場として運営されている。
 北東の山麓には金・銀・銅の鉱山として1915年ころから採掘がはじまり、三菱鉱業の傘下で手稲鉱山として隆盛を誇ったが、採掘量の急激な減少によって1971年に閉山した。
IMGP8185-600_300 現在この山頂には、放送や通信のための中継タワーが10基以上建てられている。この山頂に1952年、警察無線の中継タワー建設の突貫工事の指揮を担当したのは、私の父だった。
 このタワー完成の数日後、石狩の浜で実施された北海道警察の水泳訓練会の時、父は指導員として参加していたが、疲労が重なっていたせいか心筋梗塞を発症して死去した。42歳だった。殉職扱いとなり、中島公園南側の護国神社にられている。

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