◇ 昨日は村上の市内を歩き回ったことと、ゆっくりと温泉につかったこと、たっぷりの夕食を食べたせいで、同室の4人は21時には消灯。お酒も入っていたせいか、他の3人の皆さんはすぐに寝息を立てていた。私は自分が疲れると少しイビキをかくようなので、それが気になって24時頃まで寝付けなかった。
5月6日(金)
※ 6時前には皆が起きだして、入浴に行ったり海岸を歩いたり。海岸は砂浜で、渚からさほど遠くないところに渚と平行にテトラポットが並べられ、50メートルごとに10メートルほどの切れ目がある。
※ 西向きの渚の遥か沖合には、粟島が見える。きのう、宿に着いた時には、少し薄く見えていた。今朝はかなり霞んでいる。人口は300人ほどで、村上の岩船港からフェリーで90分、双胴高速船で55分。佐渡島も、はるか南方に微かに見えていた。
※ 海岸をぶらぶらと歩いていると、目の前をツグミ大の青い鳥がすっと横切って、200メートルほど先の、隣のホテルの屋根に止まった。カメラのズームいっぱいで写してみると、イソヒヨドリだった。10年以上前に、藤沢の江の島で出会って以来である。
※ 朝食の後、10:19村上発のJR特急「いなほ6号」で11:04新潟着。待っていた高砂観光バスのマイクロバスで「北方文化博物館」に向かう。
※ 大学4年の時、ゼミの教授が発見し、さらなる情報集めをしていた螺旋階段式木造参拝形式の建築物のサポートとしてこの新潟に来たとき、宿の仲居さんが「沢海(そうみ)の伊藤様に行くと、三角の間取りの面白い建物があるよ」と教えてくれたので、当時何らかの交通手段で観に行ってきた。その場所こそ、YNさんが今回見学を計画してくれた「北方文化博物館」の中にあった。
※ 母屋は、會津方面から川舟で運んできたという杉丸太を使い、長いもので南側縁側の16間半のものを最長として長いものが多く使われているという。
※ また江戸から明治にかけての豪農・伊藤家では、英彦山詣での時には、すべて自分の敷地を歩いて行けたとか。
※ いよいよ大学の卒論の旅で見つけた正三角形の建築物「三楽亭」とご対面である。この建物は建坪11坪余りで、当主の書斎兼茶室であった。中の畳は、形が長方形なのは 1枚のみで、あとは平行四辺形または正三角形の変形である。学生時代には中に入れたが、今回は老朽化防止の意味があってか中には入れず、外から覗くしかなかつた。
※ これら広大な屋敷は、戦後の農地解放もあってかなり縮小したが、2000年4月に国の登録有形文化財に登録された。敷地内には、江戸初期と明治初期に建てられた県内の古民家を移築し、保存している。
※ その後、新潟市の中部に戻って「北方文化博物館-分館」を30分ほど観たあと、お土産屋に寄るほかの人たちと別れ、私たちは新潟駅まで送ってもらった。駅からは定期バスで空港に向かい、土産物屋で少し買い物をしてから、来た時と同じ型の飛行機で新千歳空港に着いた。自宅への途中で回転寿司屋に寄り、夕食を済ませて帰宅した。
DADさん、おはようございます。新潟の旅、拝見させてもらいました。村上に宿泊されて、いろいろ歩かれましたね♪北方博物館の藤も満開で良かったです。私は、阿賀野川の近くに住んでいます。大河なので、最寄の泰平橋というのを、歩いて渡ると、30分近く掛かります。私の方は、6日に出発して、10日夜に帰るという強行軍でインドに行って来ました。気温の高いのにも、驚きましたが、貧富の差が激しく、貧しい民を何とか出来ないのか?!なんて、カルチャーショックを受けて来ました。また、時々、ブログにお邪魔しますね♪北海道の草花や野菜、景色を楽しみにしています~
すみれさん、こんばんは。コメントをありがとうございます。
今回は、村上も新潟も天気予報は危なかったのですが、両日とも予報が外れ、おかげで日本海に沈む夕陽を、瀬波温泉の露天風呂からじっくりと楽しみました。
旅行社の友人の企画が、「越後の歴史」を軸としていたので、とても楽しめました。50年も前に新潟で見つけたインパクトのある「三楽亭」に、また出会うことができました。そして宿の夕食のご飯の美味かったこと!!
貴女も、インドを楽しまれたようですね。時々見せていただいています。