ブータン訪問記・5・旅程-3

※ 2016年8月23日(4日目)、チェレ・ラ峠⇒かりんとう試作⇒ハ県見学⇒Rism Hotel
 ホームのオーナーを起こさないように、5時ちょうどに各々のホームを出てバスで出発し、昨日通ってきたチェレ・ラ峠へ朝日を観に行く。私はきのう、酸素の薄さから心臓に圧迫を感じたので少し躊躇したが、思い切って出かけた。
 峠へ半分ほど登ったところで、西北の方向に山脈が見えてきて、ガイドがこの山脈の最高峰であるチュンドガンが「ハ県」の土地神様としてあがめられているという。
imgp9030-600_300a やがて6時05分にチェレ・ラ峠に到着した。さすがに朝早いせいか、私達は薄手のウインドブレーカーを着て行ったが、けっこう寒い。昨日は焚かれていた信仰・お祓いのためのお線香も、まだ早いせいか煙を上げていなかった。
imgp9033-600_300a 幸いちょうど東方に朝日が昇り、空は快晴で明るくなった。遥か北方には白く雪を被ったブータンの聖なる山、チョモラリと前山のジチュダケが見えた。ガイドも、「なかなか見えるものではないから、皆さんの行いが良かったのだ」と、皆を笑わせた。
imgp9038-600_300a 峠に70分ほど居て下山。8時10分に、ホームスティ先で赤米(もち米系)のごはんに、刻み野菜のサラダと、野菜の煮物を紅茶と一緒に頂いた。もちろんきのう持ち込んだマツタケを裂いて、フライパンで素焼きにして、ライムを絞ってかけて食べた。久しぶりのマツタケでうまかったが、Lhamさん家族はあまり感激したようには見えなかった。
imgp9087-600_400b 予定の9時を過ぎてもHVC(Haa Valley Cooperative=ハ谷協同組合)の職員が来なかったので、Lham さんに頼んで小麦粉と蕎麦粉を出してもらい、秤もないので、湯飲み茶わんの摺り切り1杯を60グラムと決めて、鶏卵を1個割り込み、捏ね始めた。その時にHVCの職員が来たのだが、前日に分配したはずの道具も材料も持ってこない。
 そうしているうちにも、捏ねている材料が全くまとまらずボロボロになってしまった。ちょうど顔を出したガイドのサンゲイ君が
 資材を持ってきたので尋ねると、私達が使ったのは、並蕎麦粉と、ダッタン蕎麦粉だったようで、まとまらないはずだ
imgp9093-600_300a そこで、グループのM夫人の提案で、食事用の大きなスプーンに4杯の牛乳と、4杯の水を混ぜてみるとやがて何とかまとまりだし、30分ほど冷蔵庫で寝かせた。その後、ちょうどLhamさんが持っていた「のし台」と「のし棒」で、ラップに挟んだネタを厚さ4ミリ程度にのし、包丁で4ミリほどの幅に切った。
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 後は低温の油で揚げて油切りし、別の鍋で砂糖を水で溶いて沸騰した所へ入れてまぶしてから、バットの上で荏胡麻を絡めて出来上がり。
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imgp9103-600_300a 試作完了後、Lham 家のリンゴ園を見せてもらった。それを見て思い出したのは、いまの札幌市南区「澄川」がまだ「北茨城」と言っていた頃、広大なリンゴ園があり、「国光」あるいは「紅玉」という小ぶりのリンゴが実っていた風景である。
 Lham 家のリンゴ園では、枝は伸ばし放題。着いた実もほとんど間引きしておらず、ゴルフボールよりやや大きくなった時点でもぎ取り、そのまま齧るようだ。妻は、庭木の剪定の経験があるので、これを見て手を出しかねないほど残念がっていた。
 今回の私達は、ホテルでもレストランでも、またホームスティのお宅でも、このような小ぶりで固いりんご、なし、モモなどをデザートに頂いたが、皮を剥くこともできず、またその硬さは、少々難敵であった。
 蕎麦かりんとうは、ほかのグループも少しずつの違いはあるものの、何とか完成し、それぞれの試食をしあった。
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 11時に、それぞれのホームスティ先に別かれを告げて、ハ県内の視察に出発した。牛は、春から秋までは放し飼いで、その辺の道路には牛の糞が散乱している。沖縄県の与那国島を思い出した。
 まずラカン・カルポ(白寺)に行く。ここは県庁と、僧侶の修行の場ということで、内部は撮影禁止。しかも改修工事中であつた。このカルポのうしろの谷には、ラカン・ナクボ(黒寺)があるとか。

imgp9118-600_400a そのあとHVCのチーズ工場を見せてもらった。中では、4名の女性が、カッテージチーズを作っていて、牛乳を温めた後の分離と、沪し取ったものから直径10センチ、高さ3センチほどに手で成形する作業をしていた。私達にも1個分けてくれたので、皆で千切って分けて食べたが、クセのない淡白な味だった。
imgp9128-600_400b✑ チーズ工場から出て、街中にあるレストランで昼食。ここも同じビュツフェ形式で、デザートにはあのリンゴとナシが置いてあった。
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 レストランを出ると、「ハ・川」に出た。上流に雲母を産する鉱山があるのか、河原はきらきらと銀色に光る小石が多かった。M夫人は、自然の色合いや透明感のある小石でアクセサリーを作るのが趣味のようで、この雲母の入った小石をせつせと集めていた。M夫人は、今朝もチェレ・ラ峠で、路傍にあった石英系の小石を拾い集めていた。
imgp9130-600_300aimgp9130-4-600_300a そのあと、ハの町を散策。商店も住居も木造ではあるが、窓が日本の茶室建築に見られるような、独特の「火灯窓」のスタイルをしている。
imgp9138-600_378a 1軒の店では、出入り口の横のタタキに野菜を並べて売っていたが、店主が隣の露店に行って話し込み始めた。見ていると、放し飼いの牛が1頭やってきて、並んでいる野菜を食べ始めた。私が「おーい!」と声をかけると、店主が飛んできて牛を追い払った。

 18時にRism Resort Hotel でそれぞれが1棟2戸のコテージを割り当てられて荷物を入れ、私達はホテルの石焼き風呂を体験し、着替えをして食堂に集まった。
imgp9194-600_400a 食堂では、長テーブルの両側に並び、端部に置いたテレビで、JEEFの職員・松尾さんが撮影しておいた「ハ県のお祭り」の状況を見せてもらいながら、夕食を摂った。食堂では、私達以外の客も数グループ居たが、ほとんどが日本人のようだつた。
 食後、20時20分から21時まで、Mご夫妻の部屋で明日のミーティングで何をプレゼンテーションするか、下打合せをした。Mご夫妻は、前日のかりんとう作りで、たまたま誤って2種の蕎麦粉を使った方法が意外とうまく出来たこと、そして夫人の趣味の、きれいな石を使った装飾品造りとを発表することになって、私達は自室に戻った。
 私達は、いま入手できる牛乳で、「生キャラメルを作ってみること」が1つ。また、インゲン豆以外には大豆が生産されていないようなので、大豆を栽培して、未熟豆(枝豆)の利用や、完熟豆の栄養素の多いことと用途の広さを1つ、提案することにした。それらを紙にまとめて、終わったのは22時30分だった。

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