札幌時計台

🚌 今日は所用があって、妻と久しぶりに市街地に行ってきた。不織布マスクをかけ、人出の少ない時間帯に出たのだが、バスは4月から日中の本数が減らされ、いつもより混み合っていたが、地下鉄はやや空いていた。市役所の北西には時計台があるので、寄ってみた。
⏰ この時計台は、1878年に開拓使の本庁舎として建てられ、間もなく札幌農学校(現在の北海道大学)の演武場として1903年まで利用され。、その後市の所有となり、現在の場所に100メートルほど移築した。私が子供の頃は周囲にビルも少なく、それなりに風情があり、中には札幌農学校時代の講堂があって、開拓時代の資料を見ることかできる。
🔥 1892年(明治2)年の周辺火災の時、農学校の生徒たちが屋根へ登り、ホウキなどで必死に火の粉を払って類焼を防いだという話は、今回調べて初めて知った。

 『緑の丘の赤い屋根 とんがり帽子の時計台・・・』の童謡は、長野県安曇野の戦災孤児保護施設を舞台にしたラジオドラマ『鐘の鳴る丘』の主題歌だったが、国民の間にはこの札幌時計台のイメージが重なっているようだ。しかし今は四方に高層ビルが立ち並んで、時計台はまるで小さな遺跡のように目立たなくなってしまった。このイメージが強いせいか、最近は国内の「がっかり観光地」の第1位に挙げられてしまった。

 時計台が出来て2年後の1880年に、ここから100メートルほど東側に開拓使直営の洋式ホテルとして豊平館(ほうへいかん)が建てられ、こちらは1958年に、中島公園の大池のほとりに移築され、今も風情を保っている。ただ最近豊平館のすぐ北側に高層ホテルが建てられて、正面からの景色が壊されてしまった。
 3年程前に、市庁舎の16階から時計台を見下ろした時、『赤い屋根』がさび付いていて、見るに堪えなかった。中島公園か羊ケ丘に移築という提案をしたかったが、既に札幌市の予算に屋根塗装のやり直し費用が計上され、決定していた。上にも書いたように、豊平館も景観を壊されており、今は中島公園への移築も否定したい。
 3年程前に、藻岩山からの札幌市街地の夜景が『新日本三大夜景』に認定された。市の側は大喜びしていたが、観光地としての「がっかり」と誉め言葉の混在。為政者はどこへ行こうとしているのか。

カテゴリー: 土木・建築物, 思い出, 想うこと, 日々つぶやき パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA