東海道線沿線の田んぼ

 JR東海道線の普通電車で東京駅を出て51キロ、藤沢駅に到着するまでの間で、線路の両側の景色の中に田んぼが見られるのはたった1か所、藤沢駅の手前約2キロの海側にほんの150坪程が残っているだけである。
♠ ここは、10年ほど前までは2000坪ほどの田んぼが残っていて、春先の早くに、北へ渡る途中のマガンが羽根を休めたり、田起しの頃はコサギがドジョウを狙ったり、秋の稲刈り前にはスズメ除けのネットが、陽を浴びてオレンジ色に光ったりと、季節ごとに目を楽しませてくれていた。
♠ それが少しずつ土で埋め立てられそこに畑作物が植えられるようになり、去年には500坪ほどが田んぼとして残っているだけであった。

1-RiceField東海道線 東京から50キロ圏最後の田んぼ (2002.9.16)

 今年の春、そのうちの350坪ほどが田起こしされず不審に思っている間に、ゴールデンウイーク後、すっかり土に埋まっているのに気付いて、がっかりした。残った150坪ほどの田んぼには一応稲が植えられ、実りの秋を迎えてネットが張られたが、いつまで残してもらえるのか、わからない。もしもこの田んぼがなくなってしまうと、東京から東海道線50キロ圏沿線には田んぼは見られなくなるのである。
 2002年9月16日、私と妻とは藤沢から東海道線に乗り、33キロ西の小田原まで往復して、窓から見える田んぼを調べた。途中17キロ先の大磯まで田んぼはなく、大磯から小田原までの間の南北に、約300坪から1,000坪の田んぼが5箇所残っているだけであった。ただ畑はところどころに散在しており、また生産調整による放置と思われる、雑草の生い茂る平地がかなり見られた。
 こうして首都圏に集まる人々の居住空間を確保するためというだけでなく、生産調整という不可解な制限と補助金で生産活動を停止させ、その分を海外から買い付けて、いざ再生産という時にはもうその土地は使い物にならないのではないだろうか。私達にとって日本の原風景とも言える田んぼが次々に消えていく状況は、単に「寂しい」では済まされない、何か恐ろしい方向に向かっているような気がするのである。

※ 追伸2011年10月、所用で東海道線に乗り、この場所を通ったので窓から見ていたが、残念ながらあの田んぼは土で埋められて、大根らしきものが植えられていた。

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