東ティモールを垣間見る -1

友人の勤務地
 東ティモールは、2002年5月に独立した、いま世界で一番若い国である。この国の日本大使館に勤務する友人N君が、この3月末で定年を向かえ帰国することになった。めったに行けない国なので、押しかけ気味ではあったが思い切って妻と一緒に行ってきた。

00-Map-Total-615+300 東ティモールは太平洋とインド洋とのはざま.南緯9度.東経126度

歴史
 17世紀後半以降の大航海時代に、現在のインドネシアの殆どはオランダの支配下に入ったが、ティモール島はこの島に産する白檀に目をつけたポルトガルとオランダに分割された。ポルトガルは各地の族長を支配していたが、産業振興や社会資本の充実には無関心だったようである。
 19世紀後半から20世紀にかけて、過酷な人頭税などに反発して反乱が多発した。その後太平洋戦争で日本軍が乗り込んで1943年には全島を制圧したが、日本の敗戦で西ティモールを含む旧オランダ領はインドネシアとして独立。東ティモールはポルトガルに返還された。
 1974年にポルトガルでのクーデターで植民地放棄された形になり、独立を志向する組織が結成される。その後インドネシアなどもからんで多くの紆余曲折があり、1999年の住民投票で80%近くが独立を支持。2002年5月に独立を果たした。

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01-Timor-Map-Total-615+250 東ティモール.首都はディリ

3月1日(火)
 日本からの直行便はないので、一旦インドネシアのバリ島まで飛び、乗り継いで東ティモールの首都・ディリに向かうのである。成田発11:00のインドネシア・ガルーダ航空の881便で7時間強。バリ島・デンパサール着17:15(時差:日本時間マイナス1時間)。
3月2日(水)
 バリ島観光(別途レポート)。
3月3日(木)
 デンパサール空港で、朝9:10発のメルパティ航空8480便に乗る。この便で、ジャカルタへ出張した帰りだというN君と一緒になった。今回の旅でお世話になる友人である。東ティモールのディリ空港まで機内食を頂きながら110分。入国審査、荷物検査も問題なく通過した。このディリは日本の石垣島とほぼ同じ経度で、日本との時差はない。バリ島ではむし暑さを感じたが、ディリの空気は比較的乾いていた。

02-03 3/3 移動範囲(赤)          ホテル・ティモール

 ディリの市内で
 車に便乗させてもらって日本大使館へ。N君が業務を済ませるのを待って、彼の車でホテル・ティモールへ連れて行ってもらう。N君は、このホテルの1室を借りて奥さんと2人で暮らしている。私達もチェックインし、奥さんに挨拶させてもらった。
 そのあとで彼が「さあ出かけよう」という。私は、ホテルと貸切タクシーの手配だけを依頼していたのに、わざわざ休暇を取って私たちにずっとつきあってくれるそうである。言葉の問題で若干の不安があったのだが、地元の事情に詳しく、会話も堪能なN君に同行してもらえるのは、とてもありがたい。「悪いなぁ」と言うと、「ただし、私の家内もあまり地方を歩いていないから、便乗させてもらっていいか?」。もちろんである。
 まず海側へ出て、道路沿いに露天の並ぶ市場を覗く。まず魚を売る店が並び、少し離れて野菜を売る店が並ぶ。魚は目の前の海へ出て、主に投網を使って獲るという。サバは明確に分かったが、その他にイワシ、アジ、イサキ、シマアジ、マダイ、ワカサギなどによく似た魚があった。

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魚  の  市  場

 また野菜類は時期のせいか葉物はあまりなく、なす、とまと、かぼちゃ、きゅうり(日本のしろうり程の太さ)くらいで、あとはバナナ、アボカド、パパイヤ、スイカ、釈迦頭、柑橘類などの果物が多かった。

07-0910-12 野 菜 ・ 果 物 の 市 場

キリストの像
 海岸の砂浜をしばらく東へ走ると小さな岬が飛び出していて、その80メートル程の小山の頂上に、キリストの像が北の海を向いて立っている。インドネシア時代に、信仰している宗教の登録を義務付けたため、殆どの住民が「クリスチャン」として申告した。そのため現在の住民の99パーセント以上がキリスト教徒(カトリック)ということになっている。
 イスラム国家であるインドネシアの政府は、東ティモールを併合していた時代に、住民の懐柔策として学校や教会を建設し、象徴としてのこの像を建てた。浜辺から山頂までスロープと階段、手すりが整備されている。また要所には照明塔が立っていたが、なぜかその殆どが破壊されていた。
 このキリスト像のある小山で、白い斑のある黒っぽい小鳥を見かけた。地味な色の鳥(♀?)と一緒なので恐らくヒタキサンショウクイだろう。

13-14Fatossidi 岬山頂のキリスト像

サンタクルス墓地
 市内へ戻ってサンタクルス墓地へ行く。1991年11月12日、殺害された独立派の青年の葬列がサンタクルス墓地に入ったとき、インドネシア軍が乗りつけて自動小銃を乱射、500名以上が死亡または行方不明になったと言う。この様子を撮影したビデオテープが、検問をかいくぐって海外へ流出し、世界の批判を浴びて独立への大きな弾みになった。

15-16 サンタクルス墓地

タイボートレストラン
 夜、N君夫妻の招待で、ディリの港に浮かぶタイボートレストランでごちそうになることになった。N君はもう一組のご夫妻を招待していて、紹介された。日本の国際協力事業団の専門家として赴任されて間もない、Oさん夫妻であった。
 奥さんもボランティア活動で、現地の子供達に折り紙や紙芝居などで、日本の文化などを紹介しておられるとか。ここで困ったのが、日本の子供は普通に理解できる動物・キリン、キツネ、ウサギなどを、こちらの子供達は見たこともなく、ほかの動物に置き換えて理解させるのに苦労したそうで、なるほどと思った。

17-Central_Hotel タイボート・レストラン”CENTRAL”(同店パンフより)

ドリアン
 食事・歓談のあと、駐車場でOさんの奥さんが「珍しく手に入ったから」と、N君の奥さんにドリアンを手渡した。大人の頭ほどもあるイガイガの果物で、”果物の王様”と言われているのだとか。ただ熟したドリアンは強烈な匂いがする。何とも表現が困難な、いやーな匂いで、飛行機もホテルも持ち込み禁止である。

18-20 ド リ ア ン の 解 体

東ティモールを垣間見る-2」に続く

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