地誌
◆ 国土面積はほぼ日本の長野県ほど。気候は熱帯性だが12月から5月にかけての雨季とそれ以外の乾季とに分かれる。脊梁山脈は1000メートルから3000メートル弱。北部海岸は降雨量1000ミリ未満の乾燥地帯。山岳部は3000ミリに達するが、南部海岸は1500ミリ程度である。標高100メートル以下では年平均26~27℃、1000メートル前後では年平均20℃前後、6月から9月は南からの季節風が吹いてしのぎ易い。
◆ 貿易対象となるものはコーヒー豆の生産くらいで、農業人口は7割程度。米や野菜を作っているが、一部を輸入に頼っている。果物は柑橘類、パイナップル、アボガド、マンゴー、スイカなどを産する。コーヒー豆の品質向上と輸出に関しては、日本のNGOが指導・協力している。
◆ 畜産は私たちが歩いて見た範囲では、農家でヤギ、ニワトリ、ブタ、ウシなどが放し飼いにされ、他に若干のウマ、スイギュウが見られた。
国民
◆ 地方行政は13地域に分かれる。全国の人口はほぼ92万人。首都ディリの人口は17万人弱で、ディリ以外にも人口の集中する地域はあるものの、まだ都市としての行政機能が発揮される環境にはない。
◆ 先住民族はマレー系とパプア系及びその混血。そして歴史的な諸般の経緯からポルトガル系、アラブ系、中国系、ジャワ系、インド系、そして若干のアフリカ系からなる。現地語は16種。そのうちのテトゥン語の標準語化を進めている。インドネシア併合時代に実施した教育の普及で、国民の半数ほどはインドネシア語を理解すると言う。
宗教
◆ インドネシアによる併合の初期にはカトリック教徒が4分の1で、他は精霊信仰であった。しかしインドネシアの法律に従って申告させた宗教のリストには精霊信仰の選択肢は無く、キリスト教として申告した者が99パーセントを超え、他に1パーセント未満のイスラム教徒がいる。
3/4 移動の範囲(赤) コーヒー豆(アラビカ種)
3月4日(金)
◆ 今日と明日は、N君に手配してもらった借り上げの4輪駆動車で、回ってもらうことにしている。今日はN君のプランで主にディリの南部山間部を回ることにして、朝9時にホテルの前で待っていた。
◆ 車の運転手は、インドネシア併合時代は自動車の整備工場を経営して羽振りも良かったそうだが、独立後は需要が激減し、いまは自分の車をチャーターに出すことで息をついているとか。背が高くガッチリしていて浅黒く、一見非常に怖そうなのだが、とてもニコニコして気配りも良く、道路事情の悪い山間部でも非常に丁寧に運転してくれるので、安心であった。
借り上げた4WD車(写真:N君) 借り上げ車の運転手君___
道路事情
◆ 市街地から海岸沿いの勾配のゆるい所では、簡易舗装ながら車は快適に走った。しかし山中に入ると舗装のメンテも十分でなく、穴が多くなってスピードが出せない。また雨による崩落や巨大な倒木などで、そろそろと走る所も多い。ある場所ではひどい泥濘の坂道で、車を先へ進めるのをあきらめた場所もあった。しかしその先には、人々の暮らす集落も多く迂回道路もないので、生活物資の輸送には欠かせず、復旧を急ぐ道路だと思う。
◆ 国内の道路整備の技術的な支援のために、昨夜お会いしたOさんが日本の道路公団から専門家として赴任し、現状を調査しているのだとか。
主要道 兼 生活道路(写真:N君) 倒木を避けて通る___
______ 路 盤 崩 落 日本の自衛隊が架けた橋.”JAPAN”とある
南下
◆ ディリの市街地を出て海沿いに西へ少し走り、途中からグレノという街を目指して南下し、山中に入る。うねうねとした道路を登っていくが、最近の豪雨などで道路が傷んでいてスピードが出せない。
◆ 樹木はかなり茂ってはいるが、太いものはあまり多くはない。しばらく人気の無い所を走っていると、突然規模の小さい畑や人家、子供などが現れる。道路際にはときどきコーヒーやとうもろこし、アブラヤシなどが植えられているが、栽培というよりは野生という雰囲気で茂っている。途中の少し開けた場所で止めてもらって鳥を探したが、スズメ以外はいない。
◆ その谷側の木の枝に、変わったハチの巣が裸の状態でいくつもぶら下がっていて、双眼鏡で覗くと黄色っぽい中型のハチが出入りしていた。このハチの巣の木のそばにたくさんの子供達が居て、我々をものめずらしそうに見つめていたが、馴れてくると人なつこくニコニコとしていた。
ハ チ の 巣 子 供 た ち
Gleno
◆ やがて標高が上がり、グレノの街に入る。街の中の道路を横断するように川が流れ、ここに架かる橋が流されたとき、日本の支援で架け替えられたとのことで、橋に記念のプレートが固定してあった。
◆ また道路沿いの市場を覗くと魚は殆どなく、果物はバナナくらい。多いのはニガウリ、シロウリ、タロイモ、タマネギ、マメなど。またディリの市場では見かけなかった葉物の野菜やカボチャの若茎が並んでいた。この市場の屋根には、シンボルとしてのガルーダ(神のタカ)が祀られていた。
日本の支援で架け替えられた橋
象徴・ガルーダ トウガラシ ニガウリなどウリの仲間____
カボチャの若茎と葉菜 紫色の小さなタマネギ
El Mera
◆ さらに山中へ入り、4ヶ月前まで居た日本の自衛隊が架けたという鉄骨トラスの橋を渡って、エルメラという街に入った。ここは国内に13ある地方行政地区の一つ、エルメラ地区の中心である。
◆ この街の教会に、大勢の人々が集まっていた。金曜日だが、教会の中ではミサが行われており、一見葬儀かとも思われたが、人々の、特に女性の服装が鮮やかだったので、結婚式かお祭りだったのかも知れない。フラリと通りかかっただけの私達には、判断がつかなかった。
エルメラの教会 泥濘で通行不能(写真:N君)
Fatobessi
◆ エルメラから南西のファトベシに向かう。山岳部では、強い日差しに弱いコーヒーの木をカバーするべく、上で枝を広げて半日陰を作るように、独特の背の高い樹を植えてある。
◆ ファトベシには、ここを開拓した農場主のブロンズ像のある展望台がある。そこまであと1キロほどというところで、浸水した道路が赤土の泥濘のために進めなくなった。全員が車を出て、40メートルほどの間の泥濘を避けて道路際の斜面を伝い、その先にある展望台まで歩いた。
◆ 展望台は、物見台に屋根をかけただけの簡単なもので、階段は今にも壊れそうである。ここからはN君が「奈良盆地」と呼ぶ平原が広がっていて、その平原の中を太い川が何本か集まって、東の方へと流れている。その向こうにはティモール島の脊梁山脈がうねうねと波打っている。
コーヒーの樹に日陰を作る大木 開拓農場主の碑と展望台_
中央部の盆地
網代編み
◆ 車まで戻るともう1台、トラックが立ち往生していた。乗っていた人達が荷物を頭に載せ、泥道を迂回して我々とすれ違って行く。
◆ ファトベシからエルメラ、グレノに戻る途中には、道路沿いに農家や出小屋らしい建物がポツポツと立っている。屋根が藁葺きで、拭き上げた一番上の棟が、特殊な押さえ方をしていた。屋根が崩れたり雨が浸入したりしないようにという知恵なのだろう。外壁のない出小屋のような建物と、日本で言う網代編みの外壁を持つ建物があった。
◆ この近辺には日本にもあるブラシノキに良く似たもの、ショウガの仲間、ベニバナボロギクに似たものなど、少し変わった花が咲いていた。また道路を歩いていてもかなり強く匂うミントの仲間が自生していた。
外壁のない農家の小屋 網代編みの外壁.ヤシの樹皮か?
ネムノキの仲間 アルビニア・ヌタンス ベニバナボロギク? ミントの一種
Aileu
◆ グレノから東へ向きを変え、アイレウに向かう途中に、前方が一気に開けて水田地帯を見下ろす所に出た。水田の仕切りはやや簡易的で、南西の方はまだ水が溢れたままの状況であった。
◆ 折から田植えの最中で、1枚の田に多くの人が入り込んで稲を植えている。家族だけでなく、近隣の助け合いで田植えをしているのではないかと思った。日本でもこのような共同体の相互支援のシステムは古くからあったと思われるが、最近はどうなのだろうか。
田 植 え 家 路
Maubisse
◆ さらに南下してマウビセまで行くと、平屋だがしっとりと落ち着いた建物が現れた。ホテル兼レストランで、ヨーロッパ風の前庭には洋花が植えられていて、ここまでの景色と一変している。
◆ 入り口前の階段を上がると、建物の周囲がぐるりとバルコニーで囲まれ、一周できる。中に入ってコーヒーを頼み、一休みした。外国の支援団体の人たちや政府関係者がよく利用するとかで、「こんな山奥に!」と思うほどの感動も手伝ってか、コーヒーが非常に美味かった。
マウビセのホテル兼レストラン
帰路
◆ ここから尾根を越えてさらに南のアイナロ、カサ方面へ行く予定であったが、もうすでに17時を過ぎており、ディリに戻ることにした。相変らずの悪路を走っていくうち、周囲は真っ暗になり、車のライト以外には殆ど明かりがない。20時を過ぎてから前方にディリの明かりがぼんやりと見え始めたが、なかなかその明かりに近づかない。
◆ やっと市街地に入った時は21時を過ぎていた。「祇園」という漢字の看板を掲げたレストランが開いていて、日本食を提供していた。ここで、20歳台前半の若い日本人女性がアルバイトをしていた。京都出身でバリ島の大学でインドネシア語を学び、その先生の紹介で「祇園」に勤めたのだとか。
◆ この店の経営者は日本人ではないが、寿司、刺身、てんぷら、麺類など日本的な食べ物はほぼメニューに載っており、日本人以外にも評判がいいのだそうである。マレーシアの大使も見えていた。夜も遅くなったので、我々もうどん、そば、ラーメンなどを注文した。夕食を済ませてホテルのベッドに入った時は、もう23時を回っていた。
「東ティモールを垣間見る-3」に続く