東ティモールを垣間見る-3

服装
 地元の人々の衣服は、熱帯であるだけに軽装ではあるが、ディリ市内など低地の女性の一部は、日中でも長袖のシャツを着ている。N君夫妻もずっと長袖のシャツを着て、直射日光から肌を守っていた。
 またほとんどの人がビーチサンダルを履いていて、時としてスニーカーをはいている人を見かけた。子供たちも大半はビーチサンダルを履いていたが、海岸部や山岳部奥の男の子は、はだしの子が多かった。
 また山岳部でも、薄手のきちんとした服装で、スニーカーを履いた数人の若い男性達を見かけることもあった。

01_03-Timor-Map_Fashon-606-2003/5 移動の範囲(赤)        人々の風俗(写真:N君)___

3月5日(土)
 この日は、ティモール島の北側海岸沿いに南西に向かった。途中、N君夫妻が赴任の当初暮らしていたホテルに寄った。コテージが数棟あって、この一つで暮らしていたとのこと。N君の奥さんが入っていくと、数人の女性従業員が懐かしそうに駆け寄ってきた。
 このホテルの前を道路が走り、砂浜との間に3メートル程の緑地帯があって、マメ科のつる草がピンクの花を付かせていた。砂浜の幅は10メートル程度で、海は遠浅ではないようだった。海岸を歩いていて不思議に思ったのは、貝殻が全くといっていいほど見当たらない。写真に映っている白いものは、小石かゴミである。そのゴミも、自然のものが殆どで、人工物やその破片などがあまり見当たらないのである。

04-05 ディリ市西郊の海岸         海岸に咲くナタマメの花

 寄り道
 走り始めて、運転手君がN君と何やら話していたが、我々がバードウオッチングを趣味にしていると知ると、急にハンドルを左に切って草地の奥にどんどん入っていく。彼は以前狩猟を趣味にしていて、島内のあちこちを歩き回ったそうで、鳥が多く見られるところを知っているという。
 やがて細長い湖、というより、幅の広い、流れのゆったりした川のようなところに出た。水の向こうには樹木の少ない低い起伏が続いている。

 鳥だ!
 その中ほどの浅瀬に生えた樹に、シロハラコビトウが5羽とミナミヒメクロウが2羽止まっている。そして周りには数十羽のコチドリ、イソシギ、アオアシシギ、そして3羽のオーストラリアセイタカシギを見ることができた。
 岸辺の樹には、カノコバト、チョウショウバトがちらほらと飛び、カワラバトらしいハトもいた。東ティモールに来てからは、多くのスズメ以外には、キリスト像の岬で見たヒタキサンショウクイらしい鳥にしか出会っていなかったので、とても嬉しかった。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA 湖?川?水鳥がいた!(写真:N君)     水鳥の列(写真:N君)___

OISCA
 さらに西へ進むと、長いフェンスで囲まれた農園に入った。ここはOISCA(人と大地とのかかわりを改善するため、農業開発協力、環境保全、人材育成、普及啓発を行う国際的機構)の試験農園である。
 この土地に適した野菜の選定と栽培方法の研究などを行っていて、ここの所長を始めとして数名が日本で研修を受けている。この日案内してくれた青年も、1年間日本の愛知県で研修を受けたとかで、日本語で上手に説明してくれた。トウモロコシ、ニガウリ、アカナス、インゲンマメ、トウガラシなど日本で馴染みの野菜のほか、アオナス、カンコン(空芯菜)の栽培、パパイヤ、スイカなどの品種改良に取り組んでいるそうである。
※ → OISCAのホームページ http://www.oisca.org/

08-10オイスカの試験農場     カンコンの収穫     トウガラシと青年

11-13   カバマダラ       カメムシの一種   カメムシとカメノコテントウ

トドワラ?と渦潮
 農園からさらにまた西進すると、運転手君がもう一つの水辺に車を乗り入れた。大きく水の引いた岸辺には枯れた木々が立ち尽くしてして、北海道・根室海峡のトドワラの風景を思い起こすような眺めだった。残念ながらここで鳥を見ることはできなかった。
 海岸に戻って、道路が岬を迂回して大きく南へカーブし、急な上り坂を登りきったところで、一気に視界が開けてティモール海が眼に飛び込んできた。ちょうど海流のぶつかる所らしく、潮目を境に海の色がはっきりと違っており、境目に大きな渦が巻いていた。
 左手の山の上のほうで、海から斜面沿いに吹き上がる風に乗って、トビとシロガシラトビが1羽ずつゆっくりと旋回していた。

14-15              ティモール版トドワラ     ティモール海の潮目と渦(写真:N君)

国境の町-Batugade
 岬の高みからゆっくりと下って海岸沿いに南下すると、車道からちょっと内陸へ入る。運転手君の昔の狩場らしい。道なき道を進み、川の近くで車を降りると、小鳥の声とカモの仲間らしい声が聴こえる。川岸は木が茂っていて水面が良く見えないので水辺まで下りようとすると、運転手君があわてて私を引き止めた。この水域にはけっこう大きいワニが生息していて、人を襲うこともあるという。
 水辺から離れて双眼鏡で鳥を探したが、声の主の姿が分からない。しばらく待っていると、少し大型の鳥が少し向こうの木に止まった。逆光で黒くしか見えなかったが、大きさとシルエットからトサカハゲミツスイだろうと思った。またヤブの向こうの水面から、2羽のカモの仲間が飛び立っていったが、一瞬のことで種類までは分からなかった。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA
ワニが潜むという川岸の茂みで(写真:N君)

 車道へ戻ってさらに南下し、バトゥガデの町に着く。ここからインドネシアとの国境まではすぐである。検問所の近くまで行って見せてもらったが、こちらの検問所の先200メートルほど向こうにインドネシア側の検問所がある。ふと、韓国と北朝鮮との国境の板門店の映像を思い出した。
 バトゥガデへ戻って、内陸部へ入り、マリアナへ向かう。途中の大きな川の橋の上から、南側の川の分岐している中洲が見えた。川の左右は東ティモール、中州はインドネシアだとのことだった。

Maliana
 「幸いに」と言うか「残念なことに」と言うか、ワニに出会うことなく車に戻り、東に向かってゆっくりと登っていく。マリアナに着いたときは既に午後3時を過ぎていた。
 マリアナの街はゆったりとした起伏の土地にあり、広い道の両側に商店やレストラン、そしてマーケットなどが並んでいる。マーケットの前にはシンボルマークのように大きな樹が立っていた。またレストランの前にマイクロバスが停まっており、標識を見ると首都ディリへの直行便であった。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA_マリアナ市内の大木とマーケット   マリアナ⇔ディリ・直行バス(写真:N君)

通貨
 レストランに入って、遅い昼食を頼んだ。ガラスケースの中に、大皿に盛った幾種類かのおかずが入っていて、それを必要なだけ注文し、代価を払って食べる。長粒種の米を炊いただけのナシ・プティと、野菜類の煮物、鶏肉のから揚げ、金時のようなマメを煮たものを頼み、個人用の皿に必要なだけ盛り付けたりかけたりして食べる。
 飲み物は、この辺では缶入りのコーラ、ファンタオレンジ、ファンタストロベリー(!)くらいしかなく、この店では1本1ドル、隣の屋台店では冷やしていなくて50セントであった。
 ところで、この国の通貨はアメリカ・ドルである。レートは当然アメリカ・ドル換算だから、この旅行の時期は1ドル105円前後であるが、ここでは倍以上の価値があるように感じられた。

21-22マリアナのレストラン      ナシプティとおかず(写真:N君)

マーケット
 このレストランの向かい側には、かなり大きなマーケットがある。これまで見たディリやグレノのマーケットよりも規模が大きい。下の写真にあるもの以外には、米、マメ、粉類、噛みタバコなどのほか、ヤギ、ニワトリなどの家畜、Tシャツなどの衣類も売られていた。ここで使われていたのも、ドル・セントのアメリカ通貨そのままであった。
 農産物では、太くて大きな調理用のバナナが目に付いた。これは、皮をむいて油で揚げるか、輪切りにしてやはり油で揚げて、おかずとして食べるそうである。ほかにキャベツ、タロイモなどが並んでいた。また、オイスカの試験農園で見た茎が中空の青菜・カンコンもあった。

23-25 生食用と調理用のバナナ キャベツ,カンコン,カボチャ芽    タロイモ_____

ディリへ戻る
 この日は、このマリアナを終点にしてディリへ戻ることにした。道路の状態は昨日ほど悪いものではなかったが、それでも慎重な運転で、ディリのホテルに着いたときは、やはり20時を回っていた。ホテルのロビーで、運転手君に2日分の借り上げ代300ドルプラス、時間外の分や丁寧な運転に対するいくばくかのチップを上乗せして支払った。
 レストランを探すのもおっくうになったので、途中で買ったり頂いたりしたバナナやパン、せんべいなどを食べ、ミネラウオーターを飲んで、夕食を済ませてしまった。

3月6日(日)
 いよいよ東ティモールともお別れである。ホテルの朝食バイキングも3度目であり、毎日同じメニューではあったが、そこそこに美味しく、飽きることもなかった。支払いはシャワー付きツイン、朝食付きで2人で324ドル、日本への電話4回で22ドル、それだけであった。
 N君が奥さんと一緒に車で見送ってくれると言うので、それに甘えることにし、早めにホテルを出て海岸に出て見た。相変らず貝殻は全くと言っていいほど見当たらないが、今日は細かな木の枝がたくさん流れ着いていた。そのうちのある程度の太さの枝を、焚き付けにでも使うのか3~4人の子供たちが拾い集めていた。また海岸には薄く平らな小石が多かった。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA
ホテル・ティモールの朝食(写真:N君)  ディリの海岸の朝(写真:N君)__
28-30
   小枝を拾い集める子供たち      焚きつけ?    平らな小石__

東ティモールを去る
 12時に空港に着き、4日の間お世話になったN君ご夫妻ともお別れである。彼らも今月末には日本へ帰国し、東京に住まうことになるので、また日本で再会することを約して別かれた。
 チェックインカウンター、荷物検査、ボデイチェック、イミグレーションも済ませてからチケットを確認すると、私達二人の座席がかなり離れている。2時間だからいいかとは思ったが、ダメモトで空港の職員に説明すると、付いて来いという。チェックインカウンターまで戻ると、何とその職員が勝手にチケットの座席シールを貼り替えて、別の席の隣同士に変更してくれた。ありがたかったが、あっけにとられた。カウンターの女性との会話を聞いていると、言葉は分からないものの、どうやら私が声を掛けた相手は、この空港の責任者だったらしい。

31-32 ディリ空港のメルパティ航空機

バリ島へ
 ディリ空港で乗ったのは、12:45発バリ島・デンパサール空港行きメルパティ航空のMZ-8490便で、約2時間の飛行である。行く時と同じような弁当を提供され、昼食にありついた。バリ島では半日観光で美術館などを見て歩き、22:10発ガルーダ航空のGA-880便に乗り、ジャカルタを経由して成田に着いたのは、3月7日朝9時少し前であった。
 今回現地で大変お世話になったのは、私の小学校・高校の同級生であったN君のご夫妻、そして航空券やバリ島でのホテル・観光などを手配してもらったやはり高校同期生のYNさんなど。そして現地でお世話になった多くの人々をも含めて、心から感謝申し上げたい。

カテゴリー: 動物, 思い出, 手工芸, 日々つぶやき, 昆虫, 自然, 花・植物 パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA