妻の生い立ち

 妻は、刑務所の高い塀の中で生まれ、育てられた。というのは父親が法務省の刑務官だったため、家族が刑務所の官舎で暮らしていたからである。
妻は5人兄弟の末っ子で、一番上の姉とは15歳ちがい。あいだの3人は兄達である。妻が生まれた頃には父の地位もずいぶん上がっており、遊びに行く友達の家の親は、大体が妻の父親の部下だったから、どこへ行っても居心地は悪くなかった。もちろんこれには父親の人徳と、母親からの部下の家族への気配りがあってこそと思っている。

1-3網走刑務所正門      看板       網走刑務所裏門

 妻は札幌で生まれてすぐに函館に転居。小学校に入るとまもなく釧路へ転居。そこも2年ほどで今度は網走へ転居。父親が網走刑務所に転勤したからである。
 小学校卒業と同時にまた父親の転勤で札幌へ。中学・高校を卒業した頃には、父親は定年を迎えていて、市の郊外に一軒家を構えていた。妻は高校卒業後1年間編み物を習っていたが、学業に復帰、21歳で市の児童施設に勤務した。
 22歳のとき、建築屋の私に拝み倒されて結婚。1女1男を儲けた。下の子供が生まれて1年半後に私の転勤で神奈川県に転居。子供たちは藤沢市で育てたのだが、今はともに北海道で所帯を持っている。生まれたのは札幌であり、たびたび連れて帰っていたこともあって、ふるさとは北海道だと思っていたようである。
 今は定年を迎えて再就職した私と、犬、猫と暮らしている。妻は、私に「給料も下がったのだし、ゆっくりと仕事をして」と言ってくれたが、私がけっこう忙しそうに動き回っているので、心配してくれているようだ。

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