マッチ箱のラベル

 私の子供の頃、そう終戦直後から20年程の間、マッチというものは炊事やお風呂、仏壇、花火、焚き火、そしてタバコの火種として欠かせないものであった。ガスはあの「シュー・・ボッ!」という着火にドキドキしながら、マッチで点火したものである。
 マッチの箱は薄い木の板でできていて、それを薄紙でくるみ、せまいほうの2面にマッチ棒をこする摩擦ヤスリ紙、そして広いほうの一面に、メーカーのブランドマークが貼り付けてあった。

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 これに目をつけたのは祖父で、使い終わったマッチ箱をぬるま湯に浸し、ラベルをそっとはがして新聞紙の上で乾かして、ノートに貼っていた。当時は、結構な数のマッチメーカーがあって、メーカーラベルだけでも40ちかくはあったと思う。小学生の時は、寄生虫検査の検便用資料を学校まで運搬する手段の一つが、油紙とこの頑丈な木のマッチ箱であった。
 その後、商店や飲食店が宣伝用マッチを作って配るようになり、私がせっせと集めてきては祖父に渡していたが、いつのまにか私がのめりこんで、収集・整理をやっていたものである。
 そのうちマッチ箱が厚紙に変わったり、紙マッチが出てくるようになって整理がつかなくなり、いつやめるともなく、300枚くらいでストップ。親戚の子にあげてしまった。
 2000年9月、テレビの「なんでも鑑定団」という番組に、大正以後に集められたマッチのラベル5000枚を、30年かけて系統別に整理・ファイルした方が出ておられた。金銭的な評価は40万円とのことであったが、私はその数に驚くと共にその根気と努力には心から敬意を表したくなったのである。

 2004年1月18日、このHPの掲示板にイェハエル・ビスコヴィッツさんという、日本在住のイスラエル人と思われる方から、御自分の趣味としての、マッチラベルのHPを紹介された。マッチラベル収集の世界がこんなにも広く、かつ深いものかと感心させられた。以下にそのHPのアドレスを記載しておく。
http://www.geocities.com/Tokyo/Shrine/5322/
※ 2011年9月現在、このサイトは閉鎖されているようだ。
※ 2013年6月7日、偶然この人の新しいサイトを見つけた。http://yecheal.webs.com/

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