紙巻きたばこの箱

 学生時代、下宿生活をしていた私は、20歳の誕生日、ショートピースで喫煙に手をそめてしまった。以来54歳でやめるまで延々34年間、煙を吐き続けてきた。
 しかし、本当に初めてたばこの煙を吸ったのは、5-6才のころ、祖父が吸っていたキセル用たばこ「みのり」を、祖父の留守中にこっそりキセルに詰めて火をつけ、思いっきり吸い込んだのである。祖父が実にうまそうに吸うのに、私には禁止しているのが不満だったし、だから余計に興味津々であった。さてその結果は、推して知るべし・・・。

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 私が吸い始めた頃のマイタバコは「いこい」だった。「ハイライト」がフィルターつきである以外は、ほとんどがフィルターなしのいわゆる「両切り」であった。箱から出すと、ツメなどでトントンとたたいて口にくわえる側に詰めて固くくわえやすくし、逆のスカスカになった側に火をつけて吸った。
 ほかに20本入りは「新生」、「コールデンバット」など。そして10本入りが「富士」、「ショートピース」、「光」で、箱も厚めの紙箱のサヤに内箱を差し込む形であった。20本入りのほうは、ほとんどが薄紙の包みで、上の取り出し口だけが銀紙の折込みに封がしてあった。タバコの半分がただの紙の筒になっていた「朝日」はどっちだったかなぁ?
 またこの頃には、外国産タバコもデパートやアメ横などで発売されていて、「ウインストン」、「マールボロ」、「ラッキーストライク」、「キャメル」など、またドイツ製の楕円形につぶれたような「ゲルベゾルテ」なんていうのもあった。でも『洋モク』と呼んだこの輸入タバコは、国産ものの数倍の値段で、ハードボックスが多かったように覚えている。
 私のことだから、これだけ種類が増えると、収集癖が頭をもたげてきてせっせと買い込み、味も香りも構わず吸っては、カラになった箱を下宿の部屋の長押にならべたものである。毎日違う銘柄を吸っていて、仲間があきれた顔をしていたのを覚えている。ただそんな中の一人でも「へぇー」と感心してくれれば、満足であった。
 このコレクションは、私の卒業のときに同じ下宿に残る後輩がもらってくれた。その後タバコの販売が専売制から民営に移行し、めったやたらと多くの種類が発売され、さらに輸入タバコの種類もどんどん増えて、『国産タバコ』と『洋モク』の区別がつかなくなってきた。私が吸い始めた頃の国産銘柄で今でも目にするのは、「ショートピース」、「ショートホープ」、「ゴールデンバット」くらいであろうか?
 たばこをやめてほぼ7年になる。たばこを吸って汚れた肺は、吸っていた期間と同じ期間経たないと元通りにきれいにならないという。あと27年・・。後悔しても遅い。もって瞑すべし・・・。

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