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「思い出」カテゴリーアーカイブ
日光浴の4日間(6月10日~13日)
今回はまた上富良野の畑で農耕三昧であった。何しろ今回は、2日目の早朝に霧がかかったほかは、雲ひとつないかんかん照りの毎日であった。私も妻も、日よけ・虫除けのクリームを塗り、日よけ帽子をかぶってはいたが、かなり日焼けをしてしまった。 タンポポに来たモンキチョウ(6月13日) 6月10日(木) 朝、少…
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孫たちの運動会
私たちの娘の子供達が、3人とも同じ小学校に通っている。5年、3年、1年である。昨年までは小学校と幼稚園とで行事の日取りが重なったりして、親は大変な思いをしていた。 今日はその小学校の運動会。娘夫婦の気遣いで「何も持たずに遊びに来て」と誘いを受けていたので、2人で行ってきた。幸いなことに快晴で風もあま…
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♥ 1945年(昭和20年)6月5日、母と弟は神戸の大空襲で亡くなった。それから今日で65年になる。当時3歳だった私には、防空壕の暗闇の怖さ等の強烈なもの以外の記憶は全くない。母も、弟も顔が浮かばない。母は、写真でこの人かというイメージはあるものの、生後50日足らずで亡くなった弟は写真すら残っていない。
神戸港空襲の写真(たむたむさんのサイトよりフリーで借用)
http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei/article/1533/
♥ 子供の頃は「戦争」を憎んだが、今は「一部の暴力的な対応」にやりきれなさを感じている。同じ国の中の民族闘争や、同じ民族同士でありながら国を分けて争おうとするところもある。国土や国民を守るということよりも、政治家個人や特定グループの利益を守るために、「民衆」や「宗教の曲解」を盾にしていると思う。 続きを読む
2010.06.02 義兄 逝く
6月2日18時、私たちが上富良野町の借用農地で小豆を播種しているとき、妻の携帯電話に姪(妻の姉の次女)から電話が入った。その朝、義兄(妻の姉の夫)が亡くなって、翌日お通夜をする、という。非常に驚いた。私達は借りたコンテナハウスに既に2泊していて、さらに1泊して他の種や苗を植えつける予定でいたが、急遽…
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満39年・・・
私が妻と結婚してから、39年が経ってしまった。妻には随分色々の物を背負わせてきた。もちろん子供達にも。自分は何を背負っただろうか。何も背負わずに、ぬらりくらりと生きてきたように思う。 祝いの食事は、昨夜孫たちと食べた鍋の余りにゴハンを入れたミネストローネ・リゾットで済ませてしまった。来年は、40年。…
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防災訓練でハシゴ車に乗る
昨年秋のちょうど今頃、妻が出かけ、一人で仕事をしていたとき、マンション館内の非常放送が「火事です。火事です。至急避難してください」と鳴り響いた。この時は私は訓練であることを知らず、あわててネコのピーをケージに入れて、階段を駆け下りた。しかしほかに非常階段を下りる人もなく、不審に思いながら外へ出ると、…
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身辺整理
私には、物を捨てられないという悪い癖があり、このごろやっと「整理しなくては」という気持ちになってきて、3日ほど前から、まず古い手紙に手をつけた。10歳台後半から20歳台前半にかけて受信した手紙が、菓子箱3つほどもあるし、年賀状は3年分くらい全てとってある。 もう40年以上も見返さなかった手紙だから、…
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山下り
昨夜から娘の子供達が泊まりに来ている。今日は餓えの男の子2人を連れて、藻岩山に行くことにしていた。藻岩山は、標高30メートルほどの登山口から高さがほぼ500メートルある。孫たちはまだ登山をしたことがないと言うので、ロープウェイとシャトルバスで頂上のすぐそばまで登った。 1番のロープウェイ 頂上には2…
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マンションの夏祭り
今日の午後2時から2時間、このマンションの管理組合主催で夏祭り(正しくは「交流会」)が実施された。私がこの4月から理事になっているので、2ヶ月前の準備段階から、理事長以下の全理事、監事とその配偶者の協力を得て、準備を進めてきた。 昨年までの事例に沿って、生ビール、ソフトドリンク、つまみ物、サンドイッ…
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ニーウン・ペツ ガラス美術研究所
1961年、大阪府に生まれ、大阪のデザイナー専門学校を卒業。ガラスアートを主軸にして、アメリカなどで修行後、 1999年に札幌の近郊に工房”ニーウン・ペツ ガラス美術研究所”を開設した、という人が居ることを、地元のテレビで知った。8月4日に妻と様子を見に行ってきたが、自宅からほぼ25キロの北広島市仁…
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