ヤーコンの収穫

 春先に、上富良野町のTさんに分けて頂いたヤーコンは、無事に根付いて、ぐんぐんと枝葉を伸ばしてきた。高さはほぼ1.8メートル。収穫のタイミングがわからなくて、夏にTさんに電話で問い合わせると、「霜が降りた後でいいよ」という返事が返ってきた。
imgp9478-600_400a 10月20日には、霜が降りる前に初雪が降った。大した量ではなかったが、ヤーコンは葉に積もった雪でくたっとなってしまった。
imgp9505-600_300a 今後の天気予報も思わしくないので、23日にヤーコンを立て起こすことにした。
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 株を立て起こしてみるとまだ小さな花を咲かせている。ヒマワリを小さくしたような花で、株や葉の大きさには全く似合わないのだが、可憐である。直径は約2.5センチ。
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4株のうち3株は肌が赤くて、まるでサツマイモのようだったが、1株だけは肌は白くて実の成りも少なかった。

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はつゆき

 昨夜半から、けっこう強い雨が降っていた。そして午前6時の時報の直前に寝室の窓のカーテンの外で、稲光りのすぐ後に” ドンッ! “と轟音が響いた。
 TVニュースでは、市街地では午前2時頃に初雪があったとのことだが、住まいの近辺では雨のままで、8時すぎには止んで陽が差してきた。午後4時前の薄暮からぽつぽつと小雪に変わり、先ほど玄関に出てみると、道路が一面、白くなっていた。
cimg0351-600_300 この景色はついさっき、20時過ぎで、これを書いている最中に、また近くで落雷の音が続き始めた。朝よりはやや遠いようだ。
 昨年の初雪は10月25日だったから、5日早かった。平年からは8日早かった。関東以西では、昨日まで30℃を超える場所が1日おきくらいにぽつぽつとあったという。今年の冬の天気は、どうなるのだろうか。

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同期生・ギター友の怪我

 ✑ この5月に、千歳市にある教会でギター演奏の発表会があった。その時、高校同期生のKI君に出会って驚いた。KI君がギターを習っていることは、昨年の同期会の日に知ったのだが、まさか同じ先生に習っていたとは知らなかった。5年前からギターを習っていたのだという。彼もギターの先生も千歳市に住んでおり、もちろん私たちが高校同期生だとは、先生も知らなかった。
%e5%8d%83%e6%ad%b3%e6%a0%84%e5%85%89%e6%95%99%e4%bc%9a-600_300a 先日の同期会の時、東京同期会でKI君とフルートとギターで管弦楽を披露していたという女性の同期生から、彼が2週間ほど前の夜半に、自宅階段から転落して頭を強く打ったため、意識を失って北海道大学病院の集中治療室に入っている状態らしい、と聞いて非常に驚いた。

 その同期生と、病院に見舞に行こうかどうしようか話し合ったが、本人に意識がなくて会話も出来ないだろうし、奥さんにもかえって負担をかけるのではないかと、結論が出なかった。
 私としては、せめて早めにご自宅の奥様へ明るい色の花を届けたいと思っている。

※追記 本日(10月21日)夕方、いつものギターを習いに行った。KI君が教わっていたと同じ先生なので聞いてみると、今朝KI君の奥さんからのメールで、KI君は今朝9時40分に帰らぬ人になったとのこと。KI君が生前に書いていたメモリアルノートに、「事故や病気で見込みのない時は、無駄な延命治療は行わないでほしい」と書いてあったとか。そして奥さんから、出棺の際にギターを演奏して見送ってほしいと依頼されたとのこと。
 KI君と親しかった他の同期生にも連絡を取った。千歳では有名人だったとのことなので、混雑するとは思ったが、25日の葬儀に妻と参列してきた。150名程が参列した。
⇒2016/10/25[学友楽友)を送る]

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同期会、友達会、開校記念 etc.

 10月5日から2週間、同期会その他で5回、古き良き友人達と出会う機会に恵まれた。その中で校歌を唄うと、涙がにじむ場面もあった。11月にも一つ控えている。

① 10月05日-中学校同期会(1957年卒業-第9期生、2クラス、札幌のホテル)
② 10月07日-小学校開校130周年記念式典(1954年卒業-第69期生、2クラス、校舎)
③ 10月13日-高等学校同期会(1960年卒業-第10期生、10クラス、札幌のホテル)
④ 10月14日-短大+大学 友達3組夫婦会(1965~67年卒業、東京・新橋)
⑤ 10月15日-高等学校 友達2組夫婦会(1960年卒業、東京・西早稲田)
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⑥ 11月 11日-中学校開校70周年記念式典

 中学校は当時藻岩山の麓の学芸大学の隣の附属校舎にあって、校門前に象徴の藤の咲く棚があり、校章も藤の花をイメージしていた。卒業したのは2クラス115名、半数以上は存命のはずだが、出席したのは16名と過去最低となった。北海道外へ出た者も半数ちかくになるらしい。アメリカから、バイオリンで世界的に有名になった女性が参加した。

 小学校は、私は自宅近くの市立豊水小から2年生の時に今の二条小の位置にあった附属小に転校し、翌年校舎が上記中学校と併設され、旧校舎から皆で各自の椅子を約3キロ歩いて運んだ覚えがある。その後、1989年に今の北区あいの里に大学校舎と共に移転。
 今回の130周年記念式典には卒業生80名と旧・現教職員その他の61名
が集い、現在の校長以下の各先生と、各学年2クラスの生徒達や特殊学級の生徒たちと触れ合ってきた。
 このとき出席した同期生は5名で、早めに着いたので中学校の方の校長室を表敬訪問した。私が1年生の時に第1号が発行された文集「もいわね」は今も継続して発行されており、その最新の第62号を頂いてきた。

 高校の同期会は10クラスの卒業生数名簿上555名。今回の同期会に参加したのは丁度100名で、うち35名が道外からの参加であった。東京でも、私が藤沢に居た1990年頃から毎年在京同期会を実施しており、今も40名以上が集まるそうだ。
20161017_0005-600_300              高校三年同級生の卒業写真
 卒業生は、前期高齢者と後期高齢者がほぼ半々の存在で、こうして札幌に集まって同期会を行うのは、今年を含めてあと5年にしよう、と昨年の同期会で決まり、幹事をする期も10クラスを5つに分けて、私のクラスは最後の2020年に決まっている。

 14日は、税務対策の仕事で藤沢へ行く予定にしていたが、前回のブログにそれを書いたのを大学時代のJY君に見られ、SN君と共にみな夫婦で会おうということになった。この亭主3人はそれぞれ学生時代から親しくしていて、私は2人の新婚生活にさんざん邪魔をした。私がこの中で最後の結婚になったが、2人とも札幌の式場まで来てくれた。
 新橋はJY君の縄張りで、SN君夫妻は狭山市から駆け付けてくれた。JY君の誘導で和食のレストランに入り、落ち着いた雰囲気の中で美味しい料理を頂き、ゆっくりと話し合いながら、想い出話や現在のこと、今後のことなどに夢中になった。なお支払いは割り前の約束であったが、陰でJY君が支払ってしまい、割り前分を受け取ってくれない。
 妻が藤沢での所用で先に失礼し、あとは新橋を拠点にして息子さんと耐震補強の構造設計に追われるJY君の案内で、5人で新橋から虎ノ門周辺を歩き回った。ちょうどこの日が1872年に新橋から横浜への鉄道が開業した日からの144年目の当日に当たるということで、旧新橋停車場の復元建築物の入り口で記念の鉛筆をもらった。当時のプラットホームと軌道が再現されていた。
cimg0327-600_400a 夜には、藤沢駅北口の東横インで妻と合流。近くのコンビニで、
おにぎりとカップのインスタント味噌汁を買い、それで夕食を済ませてしまった。

 15日に訪ねたのは、高校3年の時の同級生だった友人で、以前彼が東ティモールに赴任していた時に私達もお邪魔したことがある。それ以前から絵はがきをよく送ってくれており、退官・帰国してからは、西早稲田に住んで、近隣の公園や緑地で風景、鳥、蝶、花などを撮影して、年間300通にも及ぶ絵はがきにして送ってくれている。
cimg0344-600_400a 山手線大塚駅から都電で終点の早稲田に到着。早速ご婦人も共に、お宅の前から神田川右岸添いに下りながら鳥を探し、対岸の旧細川藩下屋敷まで歩いた。この藩邸は、東京都に寄贈されて、その一部の学問所「松聲閣」で抹茶とお菓子を頂いた。

 この後の、表参道の国連大学・地球環境パートナーシッププラザで行われた、ブータンに設置する道の駅に関するワークショップに16:45まで参加して、羽田・新千歳経由で札幌の我が家に戻ったのは、ちょうど22:00であった。ワークショップについては、後日アップしたい。

※ この2日間で出会った鳥
アオサギ、コサギ、ゴイサギ、カワセミ、カルガモ、ユリカモメ、カワウ、トビ、
ハクセキレイ、ヒヨドリ、シジュウカラ、スズメ、ハシボソガラス、ドバト

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小さな西瓜と小さな南瓜

 この初夏に、娘の友人で群馬県に住む人から、小玉西瓜を送ってくれたと、娘が私たちに1個持ってきてくれた。大きさは直径22センチ程。とても甘くて妻が気に入ったと見えて、半分いたずらに、ヤーコンを植えた場所の空き地にその種を蒔いていた。
 するとすぐに芽を出し、生い茂るヤーコンの中から蔓を伸ばして、花を咲かせ、2個の実を着けてきた。その実は少しずつ大きくなってきて、直径が15センチを少し超えた程度で完熟である。
imgp9430-600_300 気温も15℃をきるようになってきたので、この西瓜を収穫した。また春先に苗を買ってきて植えたボッチャン南瓜は、夏のあいだの多雨で1個だけが最近ほぼ熟してきたので、9月のうちに収穫した。直径は約25センチ。
 また同様に楽しみで植えたオモチャ南瓜も、2週間ほどの間をおいて収穫した。はじめは、色々な形・模様の南瓜が1本の蔓に生ると思っていたが、実った2個は同じような模様であった。
imgp9457-600_400a オモチャ南瓜は食べられないと聞いていたので加工はせず、飾っておいた。またボッチャン南瓜は、もう少し置いて熟成させ、煮物にでもしようと思っている。
imgp9464-600_300 ただ、西瓜は叩くとぽくぽくといい音がしていたので、割ってみると赤く熟しており、外皮の近くまで色が濃かったので、すぐ食べてみた。甘味は親の小玉西瓜よりやや薄かったが、十分に美味かった。種も熟していたようだが、流石に今からは蒔けない。

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ピーマンの仲間

 ブータンの記録と検索に掛かり切っている間に、菜園の様子は気候の変化と共に、どんどん変化している。
 ジャガイモは全ての収穫を終えたが、天候のせいか、植え付け前の耕耘がまずかつたか、肥料のやり方が悪かったかで、小粒で固いものが多く、うまく出来なかった。
 いろいろと植えた中で、育ちが良かったのは Pepper の仲間であった。植え付けが早かったのだが、ビーマン、シシトウ、紫シシトウ、甘長とうがらしはよく育った。
imgp9450-600_300 シシトウはこの写真にはないが、ピーマンほどの長さで少し細いものができた。いずれも青臭みはなく、主に煮物に入れたが、娘や息子の家族が訪ねてきた時には、ベランダで焼肉パーティーをして、それらを一緒に焼いて食べた。
 このピーマンの仲間(というよりは唐辛子の仲間)で、ここ20年ほど前から日本でも食べるようになったパプリカを、昨年と今年、菜園で植えてみた。どちらも1株ずつしか植えていない。
imgp9385-600_400  パプリカの実は、どんどん大きくなるがなかなか色付かない。昨年の経験から、表面が三分の一ほど色付いた時点で採取してテーブルに置いておくと、3日ほどで全体が色付いてくるので、今年は早めに収穫した。
 赤いものは早めに3個ほど大きくなってきて、色付きも早めだった。しかし黄色は1個だけがぐんぐん大きくなり、なかなか色付かなかったが、数日前にようやく色付いてきたので、収穫した。長さは20センチほどにもなり、驚いた。
 このパプリカは、大きく色付いたものを収穫したのちに、上のほうに5~6個ほどの実を付けてきて、大きさも普通のピーマンほどになってきた。この大きさで収穫すると、大きいものと同様の色が付くのであろうか。
 藤沢に居た頃は、タカノツメとシシトウを並べて植えて置いたら、シシトウも半分ちかく辛くなった。花粉のせいなのだろうか。私は辛い物には少々弱いので、昨年から辛みあるものは植えていない。

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ブータン訪問記・8・考察

 ブータンから帰国して、自分の日記のつもりで延々と書き、駄物ながら写真を張り付けてきた。これでもかなりの文章と写真を削ってきたが、まだ長ったらしい。
 ブータンを単眼で見ると、以前の知識は非常に狭いものだとわかった。ヒマラヤ山麓の国として17世紀からたどると、チベットを統一したチベット仏教の一派、ダライ・ラマ
がシッキム地方を占拠したことと、ネパール、ブータン、インドが勢力を争っているところへ清国(中国)、ロシアが刺さり込んできた。
 そのため、イギリスが植民地としていたインド帝国をベースとした「インド領」として、ダージリン、カリンポン、シッキムをインドに統合した。そんな中で、ネパールとブータンだけが独立国として残った。

imgp9422-600_300釈迦の目( 記念用封筒から )

 今回行ってみて、「幸せを感じている国民の比率が世界一高い国」「幸せの国」という評判で、特に訪問した「ハ県」は国内でも最もその比率が高いという。ただし、経済的には最貧国の一つであり、私は、彼らの感ずる「幸せ」とは何かを把握したかった。
 国内の全人口が70万人弱で、そのうちの10万人が首都のティンプーに集まっているという。主産業は農業と畜産業であり、他に絹や木綿の製糸・織物が主なものとだけ聞いて行ったが、それが正しいかどうかは理解できなかった。
 ただ、ヒマラヤ山脈からの豊富な水量を活かした水力発電量は非常に貴重で、電力はインドへ輸出しており、その金額は総輸出額の4分の1以上を占めているという。それも、国内が豊かになり、消費電力量が急増すると、貿易とのバランスが困難にならないか。
 当然、首都ティンプーの住民がすべて農民であるわけはなく、王族や議員、役人などの他に商業や交通に携わっている人々も多い。その中に格差はないのだろうか。
 帰国してから、ネットで調べてみると、現実には国民総幸福量(GNH)の向上を国是とし、GDPはGNHを高めるための四つの手段のうちの一つ(四番目)のようだ。そしてGNHの数値としては、2010年で日本の6.6
を下回る6.1であるとか。
 2005年には、ブータンで初の国勢調査が行われた。アンケート項目は数百に及ぶが、中で特徴的なものは次のようなものであった。

・【満足度】自分で幸せだと思うか、幸せになるにはどのようなことが必要か?
・【精神面】自分自身がスピリチュアルだと思うか?お祈りや瞑想をするか?
・【自殺について】自殺を考えたことがあるか?実行しようとしたことがあるか?
・【環境に関する教養】身近な植物の種に関する知識、水路のメンテナンスが重要だと
  思うか、自分で植林をするか。
・【Cultural literacy】地域の祭り、祭りの意味、祭りで行われるダンスや歌の意味の
  知識について
・【信用感】ブータン人/近所の住人をどれだけ信用しているか?
 ただし2005年の調査で用いられたアンケート項目には不備も指摘されている。例えば本調査の中の「あなたは今幸せか」という問いに対して97%が幸福と答えた、との引用がなされることが多い。しかし、このアンケートは「非常に幸福 (very happy)」「幸福 (happy)」「非常に幸福とはいえない (not very happy)」の3択で、回答の集まりやすい中間の選択肢が偏ったものになっており、また「どちらでもない」といった選択肢が用意されていないものであった。2010年からは世界的に11段階評価の調査に改められた。
 2015年には、国によって判定の基準や、対象数に若干ばらつきはあるものの、GNHの1位はスイス、2位はアイスランド、3位はデンマークときて、15位にアメリカ、26位にドイツ、日本は46位、イタリアが50位で、ブータンは131位という驚くべき結果である。

 今回は、ブータンが観光立国・環境立国をしていこうとするための、地域別特徴を生かした観光客向け土産物を試作し、指導していこうというJEEFのNGO活動と、ブータンのHVC(Haa Valley Cooperative=ハ谷協同組合)との協力体制に、私達も首を突っ込んだことになる。
 その後ブータン側は、日本の大分県で始まった一村一品運動を参考にした具体策として、「ハ県」に道の駅(ビジターセンター)の第1号を作ることを具体化することに決めた。そのための東京でのサポート会議に私達にもできれば出席してほしいとのこと。やむなく10月末に辻堂で予定していた別の用事を10月14日に繰り上げて、15日のその会議に参加することにして、スケジュールを組みなおした。

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ブータン訪問記・7・動植物

 今回のブータンでの動植物の観察では、日本では見られないものも多かった。しかしそれらを同定する資料もなく、わずかに最終日近くに、鳥の図鑑が買えたのは幸いだった。また目的の違う旅だったので、ゆっくりと観察・撮影する間もなかつた。
 ただ現地ガイドのサンゲイ君が、動植物の専門家をヒマラヤでガイドした経験も多く、勉強熱心なので、全員を案内する合間に、おしえてもらう機会は多かった。
 ただ、駄作も含めて自分が撮影してきた動植物の写真について、鳥、爬虫類、昆虫、植物(特に花)について、あまり写りは良くないが、並べてみる。


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imgp9126_9333-600_300aimgp9155_9151-600-300aimgp9188-600_300aimgp9201_9189-600_300aimgp9275-600_300aimgp9420-600_420                                          ブータンの山岳鳥類( 切手シートから )

 両棲類
imgp9256-600_300a昆虫
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植物(パロ県からハ県にかけて存在した。名前はほとんど不明)
imgp9208-9229-600_300aimgp9140-600-300aimgp9212-biroudomouzuika-600_400bimgp9214_9224-600_300aimgp9226-600_300imgp9265_9268-600_300aimgp9269-600_300aimgp8956_8958-600_300aimgp8960_8966-600_300aimgp8967_8968-600_300aimgp8979_8981-600_300aimgp8983_8985-600_300aimgp9064-600_300aimgp9066_9070-600_300aimgp9072-600_300aimgp9075-600_300a

栽培もの
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ブータン訪問記・6・旅程-4

※ 2016年8月24日(5日目)、プレゼンテーション⇒パロ( ⇒バンコク⇒帰国 )
  7時30分に朝食。9時からホテルの会議室で、HVCのハ県事務所オフィサー以下、数名の職員に対して、参加者各位が考えてまとめた「ハ県のお土産」についてそれぞれ提案した。私達の班は、まずM夫人から昨日取りまとめた、小麦粉を入れない蕎麦粉だけのかりんとうの提案と、ハ県内で拾える小石を加工してアクセサリーを作る提案をした。
 その後私から、地産品で作る生キャラメルと、大豆の栽培による食品の種類の多さと、栄養素が多いこと、食品としての加工用途が多いことを説明した。
 ほかの2班は若いだけあって、10件ちかい提案を出してくれていた。特に、日本では忘れられかけられている「人と人との絆の強さ」を、客を心からもてなすことによって、「心のお土産」としてはどうかという、ユニークな提案が出た。
imgp9198-600_300a 1時間半で全ての説明を終えたのだが、今はここにない機械や材料を使うものも多いため、HVCの人たちに十分には伝わっていないと思う。HVCのオフィサーも最後に挨拶したが、新しい機材を導入するものも多く、今後検討させてほしいという意見だった。
 蕎麦粉かりんとうだけは東京で試作したが、実際にそれに参加したのは私達の他2名だけで、あとのメンバーはそれをビデオ化したものを観ただけであった。しかし逆に、新しい発想も出てきて、面白いとは思った。
 今回は、印象としてブータンを知ってもらうための観光企画が多かったのは止むを得ないとは思うが、できればHVCの人とも、もっと深く交流して互いに相手の環境を理解し合い、提案したものの現物を一緒に試作する時間が欲しかったと思う。
 ブレゼンテーションを終えたあと、11時
30分から12時30分まで、「ハ」の町を見下ろす散歩道をゆっくりと歩いた。牛も草を求めてよく歩くらしく、道が泥と糞とで迂回するところも多かった。しかしいろいろの花が咲いていて、楽しかった。
imgp9232-600_400aimgp9235-600_400aimgp9237-600_400a 12時30分にRism Resort へ戻って昼食をすませ、13時30分にバスは出発。14時25分にはチェレ・ラ峠を越え、パロ谷へ下る。パロに着いたのは16時少し前。泊まるのは、市内の Dewachen Resort である。

  荷物をバスにあずけ、ガイドがパロ銀座と呼ぶ商店街で買い物をする。私はブータンの鳥や花、そして昆虫の図鑑が欲しくて、サンゲイ君の心あたりを探してもらつた。
 
鳥の立派な図鑑は見つかった。表題には一応「ブータンの鳥」と書かれているが、パキスタン、ネパール、インド、バングラディシュ、スリランカ、モルディブに分布するものを1冊にまとめ、中に鳥ごとの分布域地図が書き込まれている。発行元は、シンガポールの出版社である。販売するときは、販売地の「RIRDS of ●●●●」と表題するのだろう。
 鳥と昆虫図鑑は見当たらず、雑貨屋でブータンの国蝶・ブータンシボリアゲハの小型切手シートと、4種のヤマドリの仲間を描いた切手シートを買った。

 ほかには、妻がアイヌ刺繍に使えそうだから、と、独特の鮮やかな縞模様の木綿の布地と、ローシルクだという地味な縞模様の布地を各1枚、そして同じ柄の木綿のストールを2枚、購入した。
 今夜泊まる Dewachen Resort にチェックインしたのは、18時25分。19時から食堂で夕食を摂りながら、今回のツァーの総括ということで、ここで初めて参加者の自己紹介があった。最初にティンプーに着いた夜に、私達が体調を崩して夕食を欠席したのが、参加者の自己紹介とホームステイの部屋割りのタイミングを狂わせたのかも知れない。
 
そんなに大きな支障ではなかったものの、自己紹介はなるべく早い時期に行うべきではあった。ただお粗末なことに、私の自己紹介は内容がかなりくどく、今になって強烈な自己嫌悪に陥っている。

※ 2016年8月25日(6日目)、パロ⇒バンコク
  7時30分に朝食を頂き、8時38分にホテルを出発。9時半頃にはパロ空港に着いて、JEEFの松尾さんやガイドとはお別かれである。
imgp9348-600_300a  20日に新千歳空港をスタートするときは、新千歳⇒成田⇒バンコクの乗り継ぎが同じANAだったので、新千歳で荷物を預けてバンコクで受け取った。帰りもいったんバンコクで荷取りをして、預けなおすつもりでいたが、パロ空港ではバンコクでデュルク航空からANAに積み込んでくれるという。やや心配だったが、言う通り任せてみた。
imgp9350-600_301a  KB130便はパロ空港を定刻の13時35分(現地時刻)に離陸。14時にはインドのバグドグラ空港にいったん着陸。紙箱入りのおやつと飲み物が出され、行きと同じように税関員が乗り込んできて、荷物棚の荷物を1個ずつ、所有者確認をしていた。
imgp9352-600_300a  14時40分に再び離陸。15時25分に昼食が出る。現地時刻の18時40分にバンコク到着。今回は機内でタイの入出国カードが渡されなかったので、イミグレーションで少しごたごたした。
 到着から出発まで5時間半しかないので、高速道路で3時間ちかくかけてバンコクの市内へ往復しても意味がないと、出国のイミグレーションに入ってしまったのが大失敗。
 イミグレーションは通過しても、出発便の待合室には出発の1時間半前まで入れない。あちこちうろうろして、結局待合室を眼下に見下ろす通路の自動販売機も何もない薄暗いベンチに、2時間以上座り込むことになった。

※ 2016年8月26日(7日目)、バンコク⇒成田⇒新千歳⇒自宅
 NH808便はANAが主体で、4社のコードシェア便であった。これにに搭乗し、出発したのは26日0時30分だった。
 日本に近づいた6時過ぎ頃(日本時間)に、朝食が配られた。成田空港着8時43分。パロで預けて心配していた私のスーツケースは、無事に成田で出てきた。イミグレーションのあと、国内線のターミナルに移って荷物を預け、待合室に入る。待合室にこのツァーに参加していた北見市の女性も居て、妻としばし談笑していた。
 成田発の飛行機もANAを主体とした6社のコードシェア便で、定刻の10時ちょうどに離陸。新千歳空港には定刻11時30分に到着した。あとは場外駐車場に預けておいた車で約1時間半、13時半頃には無事に自宅に帰ってきた。
 出発前にも帰郷時にも、国内の飛行予定航路の近くに台風があって心配したが、幸いなことにどちらもタイミングよくその隙間をすり抜けたようだ。ただし、帰宅してから観たテレビニュースでは、この間に3個の台風が北海道に上陸し、南富良野地区や、十勝地方、釧路・根室地方に、かなりの被害を及ぼしたと報道していた。

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ブータン訪問記・5・旅程-3

※ 2016年8月23日(4日目)、チェレ・ラ峠⇒かりんとう試作⇒ハ県見学⇒Rism Hotel
 ホームのオーナーを起こさないように、5時ちょうどに各々のホームを出てバスで出発し、昨日通ってきたチェレ・ラ峠へ朝日を観に行く。私はきのう、酸素の薄さから心臓に圧迫を感じたので少し躊躇したが、思い切って出かけた。
 峠へ半分ほど登ったところで、西北の方向に山脈が見えてきて、ガイドがこの山脈の最高峰であるチュンドガンが「ハ県」の土地神様としてあがめられているという。
imgp9030-600_300a やがて6時05分にチェレ・ラ峠に到着した。さすがに朝早いせいか、私達は薄手のウインドブレーカーを着て行ったが、けっこう寒い。昨日は焚かれていた信仰・お祓いのためのお線香も、まだ早いせいか煙を上げていなかった。
imgp9033-600_300a 幸いちょうど東方に朝日が昇り、空は快晴で明るくなった。遥か北方には白く雪を被ったブータンの聖なる山、チョモラリと前山のジチュダケが見えた。ガイドも、「なかなか見えるものではないから、皆さんの行いが良かったのだ」と、皆を笑わせた。
imgp9038-600_300a 峠に70分ほど居て下山。8時10分に、ホームスティ先で赤米(もち米系)のごはんに、刻み野菜のサラダと、野菜の煮物を紅茶と一緒に頂いた。もちろんきのう持ち込んだマツタケを裂いて、フライパンで素焼きにして、ライムを絞ってかけて食べた。久しぶりのマツタケでうまかったが、Lhamさん家族はあまり感激したようには見えなかった。
imgp9087-600_400b 予定の9時を過ぎてもHVC(Haa Valley Cooperative=ハ谷協同組合)の職員が来なかったので、Lham さんに頼んで小麦粉と蕎麦粉を出してもらい、秤もないので、湯飲み茶わんの摺り切り1杯を60グラムと決めて、鶏卵を1個割り込み、捏ね始めた。その時にHVCの職員が来たのだが、前日に分配したはずの道具も材料も持ってこない。
 そうしているうちにも、捏ねている材料が全くまとまらずボロボロになってしまった。ちょうど顔を出したガイドのサンゲイ君が
 資材を持ってきたので尋ねると、私達が使ったのは、並蕎麦粉と、ダッタン蕎麦粉だったようで、まとまらないはずだ
imgp9093-600_300a そこで、グループのM夫人の提案で、食事用の大きなスプーンに4杯の牛乳と、4杯の水を混ぜてみるとやがて何とかまとまりだし、30分ほど冷蔵庫で寝かせた。その後、ちょうどLhamさんが持っていた「のし台」と「のし棒」で、ラップに挟んだネタを厚さ4ミリ程度にのし、包丁で4ミリほどの幅に切った。
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 後は低温の油で揚げて油切りし、別の鍋で砂糖を水で溶いて沸騰した所へ入れてまぶしてから、バットの上で荏胡麻を絡めて出来上がり。
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imgp9103-600_300a 試作完了後、Lham 家のリンゴ園を見せてもらった。それを見て思い出したのは、いまの札幌市南区「澄川」がまだ「北茨城」と言っていた頃、広大なリンゴ園があり、「国光」あるいは「紅玉」という小ぶりのリンゴが実っていた風景である。
 Lham 家のリンゴ園では、枝は伸ばし放題。着いた実もほとんど間引きしておらず、ゴルフボールよりやや大きくなった時点でもぎ取り、そのまま齧るようだ。妻は、庭木の剪定の経験があるので、これを見て手を出しかねないほど残念がっていた。
 今回の私達は、ホテルでもレストランでも、またホームスティのお宅でも、このような小ぶりで固いりんご、なし、モモなどをデザートに頂いたが、皮を剥くこともできず、またその硬さは、少々難敵であった。
 蕎麦かりんとうは、ほかのグループも少しずつの違いはあるものの、何とか完成し、それぞれの試食をしあった。
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 11時に、それぞれのホームスティ先に別かれを告げて、ハ県内の視察に出発した。牛は、春から秋までは放し飼いで、その辺の道路には牛の糞が散乱している。沖縄県の与那国島を思い出した。
 まずラカン・カルポ(白寺)に行く。ここは県庁と、僧侶の修行の場ということで、内部は撮影禁止。しかも改修工事中であつた。このカルポのうしろの谷には、ラカン・ナクボ(黒寺)があるとか。

imgp9118-600_400a そのあとHVCのチーズ工場を見せてもらった。中では、4名の女性が、カッテージチーズを作っていて、牛乳を温めた後の分離と、沪し取ったものから直径10センチ、高さ3センチほどに手で成形する作業をしていた。私達にも1個分けてくれたので、皆で千切って分けて食べたが、クセのない淡白な味だった。
imgp9128-600_400b✑ チーズ工場から出て、街中にあるレストランで昼食。ここも同じビュツフェ形式で、デザートにはあのリンゴとナシが置いてあった。
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 レストランを出ると、「ハ・川」に出た。上流に雲母を産する鉱山があるのか、河原はきらきらと銀色に光る小石が多かった。M夫人は、自然の色合いや透明感のある小石でアクセサリーを作るのが趣味のようで、この雲母の入った小石をせつせと集めていた。M夫人は、今朝もチェレ・ラ峠で、路傍にあった石英系の小石を拾い集めていた。
imgp9130-600_300aimgp9130-4-600_300a そのあと、ハの町を散策。商店も住居も木造ではあるが、窓が日本の茶室建築に見られるような、独特の「火灯窓」のスタイルをしている。
imgp9138-600_378a 1軒の店では、出入り口の横のタタキに野菜を並べて売っていたが、店主が隣の露店に行って話し込み始めた。見ていると、放し飼いの牛が1頭やってきて、並んでいる野菜を食べ始めた。私が「おーい!」と声をかけると、店主が飛んできて牛を追い払った。

 18時にRism Resort Hotel でそれぞれが1棟2戸のコテージを割り当てられて荷物を入れ、私達はホテルの石焼き風呂を体験し、着替えをして食堂に集まった。
imgp9194-600_400a 食堂では、長テーブルの両側に並び、端部に置いたテレビで、JEEFの職員・松尾さんが撮影しておいた「ハ県のお祭り」の状況を見せてもらいながら、夕食を摂った。食堂では、私達以外の客も数グループ居たが、ほとんどが日本人のようだつた。
 食後、20時20分から21時まで、Mご夫妻の部屋で明日のミーティングで何をプレゼンテーションするか、下打合せをした。Mご夫妻は、前日のかりんとう作りで、たまたま誤って2種の蕎麦粉を使った方法が意外とうまく出来たこと、そして夫人の趣味の、きれいな石を使った装飾品造りとを発表することになって、私達は自室に戻った。
 私達は、いま入手できる牛乳で、「生キャラメルを作ってみること」が1つ。また、インゲン豆以外には大豆が生産されていないようなので、大豆を栽培して、未熟豆(枝豆)の利用や、完熟豆の栄養素の多いことと用途の広さを1つ、提案することにした。それらを紙にまとめて、終わったのは22時30分だった。

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