驚きの縁・神戸大空襲

 先日、「神戸大空襲 いのちの記録」として、母と弟の罹災の状況をブログにアップした。
https://dadandmam.whitesnow.jp/moiwayama/?p=318

 そのブログをご覧になって、2年前まで藤沢市で親しくさせて頂いていたTTさんから、コメントを頂いた。なんとTTさんの奥様のお父様が、この記録の中にある「薬仙寺」の、罹災当時のご住職だったとのこと。そして、そのお父様も昭和20年6月5日の空襲によって亡くなられたのだが、私が入手した神戸新聞に、そのお名前が掲載されているだろうかとの問合せであった。
 早速その新聞を開いて調べてみたのは言うまでもない。そして知らせて頂いたそのお名前が、6月5日の死没者の氏名欄に掲載されていたのである。もう夜半であり失礼とは思ったが、電話をした。奥様が出られたのでこの旨を説明し、新聞のコピーをお送りすることにした。薬仙寺自体も始めの空襲で焼かれ、その後2度の疎開先も空襲に遭って、お父様は6月5日ではなく、8月6日の空襲で、六甲山方面で亡くなられたそうである。
 現在は神戸市兵庫区に「薬仙寺」は存在し、当時のご住職が大事に避難させたであろう過去帳が、今回の「記録する会」の調査の基礎になったのであろう。現在のご住職と、TTさんの奥様とのつながりは聞き漏らした。

カテゴリー: 思い出, 日々つぶやき タグ: パーマリンク

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