広島県-高松

 倉敷からジノリさんのお宅へ行く前に時間があったので、徳川家譜代の城下町だった福山のお城を観たいと下車した。日本の城郭について知識があるわけでも何でもないが、何となく「城」というものにあこがれる。
 徳川家譜代だったために、明治維新でかなり破壊され、また太平洋戦争時にも戦火にあって、築城当時のもので現存する建築物はごく少ないようであるが、残された本丸御門や伏見櫓は重要文化財に指定されている。再建された五層の立派な天守閣は見栄えのするたたずまいである。中は歴史博物館のようであったが、時間の都合で周囲をざっと見回してきただけで引き上げた。ここもまたいずれはゆっくりと観てみたい。

DSC02145-480+360 福山城天守閣

 ところでその後であるが、岡山まで戻って、マリンライナーに乗る。本州と四国の間に出来た3本の橋は、どれも通ったことがない。今回のこの備讃瀬戸大橋がはじめてである。暗い海上を見ながら、1955年に起きた宇高連絡船・紫雲丸の事故を思い出していた。その前年に起きた青函連絡船・洞爺丸事故で当時のクラスメイトが父親を亡くしたばかりであり、また紫雲丸の事故の時、海面で溺れる人たちを写した写真が新聞に掲載されて、私は船に対する恐怖心を持ったものである。(当時この写真に対して「報道かヤジウマか」と大議論になった覚えがある)
 今回はそんな想いを廻らせているうちに、四国・坂出に着いてしまった。終点の高松駅は、あたかも終着駅のように全てのレールが終っている。徳島方面に向かう高徳線は、一旦坂出方面にスイッチバックしてから屋島の南を抜けていく。国鉄の宇高連絡線がのあった当時の、舟との連絡の都合でできた位置取りなのだろう。
 娘達とは、駅から3キロほど南の「ゆめたうん」というショッピングモールでの待ち合わせなので、タクシーで向かう。孫達も来ていて、一番下の女の子ももうすぐ4歳。以前ほどはにかむこともなく、皆すぐに馴染んでくれた。

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