10月19日(日)
◆ 3日目、最後の視察を終えて、来た時とは別のルートで旭川へ向かう。芦別市が1990年に観光誘致のためオープンしたイベントパーク「カナディアンワールド」は、当初こそ良かったものの交通アクセスが悪く、来園者が減少して1998年に休園、翌年市民公園として開放された。ここは巨大な石炭の露天掘り跡地を利用しているとか。海外の各地では、鉄鉱石やダイヤモンドの露天掘りがあることはよく耳にしていたが、日本にも石炭の露天掘りがあったことを初めて知って驚いた。今でも一部地域で露天掘りを続けているという。
カナディアンワールド公園.北米風の宿舎や店舗があるが閉鎖中だった
◆ 校舎のある頼城(正しくは「緑園」)から芦別駅前まで下り、根室本線や空知川沿いに国道38号線を南東に上ると、1時間弱で富良野市に着く。この富良野から旭川に至る谷筋の盆地は、つい20年ほど前までは北海道以外の人にはあまり認知されていない農業・牧畜地帯であった。
◆ 脚本家の倉本聡氏がテレビドラマとしてこの富良野を舞台に「北の国から」を書いたのが1980年。大ブームとなってその後次々と続編が放映され、富良野はすっかり有名になった。NHKでも1983年に「おしん」が大ヒットし、安定してきた平和の中での日本人が、厳しい逆境の中で逞しく生き抜く人の姿に、自分達に欠けている何かを求めたのだろうか。
富良野市の「北の国から」資料館
◆ 富良野市内に、このドラマで使用した小道具や近郊で使われていた農機具類を展示する「北の国から資料館」が出来ていた。またロケに使ったバラックや石の家などは丘の向うの別の場所に残っていると言う。観光バスが時々来ては我々のような熟年層が数多く入場してきたが、リュックを背負った若い2人連れもけっこうたくさん来ていた。
◆ 21年続いたこのドラマも、昨年最終編として「2002・遺言」がクランクアップし、一応の終結を見たようである。
チーズ工房.奥にはチーズやアイスクリーム作りの体験工場もある
樹木+木の実のオーケストラ 工房横の潅木の紅葉
◆ 富良野から旭川へと北上する途中に、ゆるい起伏の続く農耕地帯、美瑛(びえい)がある。ここはラベンダー畑で有名になった。当初ラベンダーは、純粋に香料の原料として細々と作られていたと言うが、富良野がらみで一気に評判を呼び、観光用に季節をずらして栽培するようになった。
◆ さらにこの起伏の上に作られている農地では、仕切りごとに、そして季節ごとに違った作物を作るところがあり、その色合いの面白さから「パッチワークの路」と呼ばれて、観光バスも立ち寄って行く。私もこの路をたどったが、ラベンダーはもう時期が終わっており、いまは代わりにやや色の濃い紫色のサルビアが咲いていた。
黄葉、サルビア、牧草、麦、紅葉のパッチワーク(美瑛にて)
◆ 長女が旭川に住んでおり、娘夫婦や二人の孫の顔も見たかったのだが、同行されたほかの先生の手前今回はあきらめて、12月はじめに妻と二人で北海道めぐりをすることにして、旭川空港から帰郷した。3日目の朝に少し雨があってバードウオッチングは出来なかったが久しぶりに北海道らしい深い秋を堪能した3日間であった。