父の73年忌

🌹 1952年、私が10歳の時に父を事故で亡くしてから、73年が経った。妻に生花を求めてもらってきて、花瓶に挿した。


🌹 父は、1945年6月5日の神戸大空襲で妻と次男(私の母と弟)を亡くし、町内会の世話で荼毘に付すと、6月下旬に当時札幌に住んでいた両親(私の祖父母)に遺骨と私を預けると、再び神戸に戻っていった。8月15日の終戦後も神戸で頑張っていた。
🌹 1951年に「お前の新しいお母さんを連れて帰るぞ」と父は言っていたが、単身で札幌に来ると、北海道警察本部に職を得て、祖父母や私と共に一緒に暮らし始めた。普段は極力私と接触することを心がけ、毎週のように私を中島公園に連れ出し、ズックのグローブでキャッチボールをたり、自転車で茨戸湖まで釣りに連れて行ってくれた。。
🌹 無線通信技術者であった父は、警察無線の中継塔を手稲山の山頂に建設する責任者として奮闘し、7月中旬に完成。翌週に部下たちとの藻岩山登山。続いて7月23日には私の夏休み直前の登校の時、自転車の荷台に私を載せて、小学校に送ってくれた。
🌹 翌24日の午後、石狩・オタネ浜での水難救助法の指導訓練の最中に、心筋梗塞を起こした。双眼鏡で沖合200メートルほどの所で盛んに手を振る父を見ていた上司が、”あのくそまじめなやつが盛んに手を振っている。何かあったようだ”と部下たちに命じてボートを出し、父は救助されると「ありがとう、ありがとう」と2回言って意識を失なったまま帰らぬ人となった。

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