地震のその後

9月8日(土)
 地震から3日目。北海道内の電力は、火力・水力のフル稼働や東北電力の支援で、94%回復したものの、主力だった苫東厚真石炭火力発電所は3基とも障害のため未稼働。北海道電力では、回復までに1週間ほどかかるため、利用者の節電を求めている。
 午前中に、徒歩15分ほどの位置にある娘の自宅からさらに10分ほど先のCOOPまで、歩いて行ってきた。昨夜の通電までは、地下鉄や市電はもちろん、バスも走らず、自動車だけが走っていた。
 途中にはガソリンの給油所が3か所あるが、うち2か所が休業。開店していた1店では、車の長蛇の列ができていた。行くときは150台を超えていた。しかし感心したのは、このメイン通りに出入りする多くの小路への交差点では、信号機の有無にかかわらず、みなきちんと幅を開けて停車し、前が進むのを待っていたことである。

 COOPでは、野菜、肉、魚等の生鮮食品や、牛乳、ヨーグルト、パンなどはほとんど無くなっていた。お菓子類や果物は若干残っていたが、バナナは無かった。
 途中の農地で、麦やトウモロコシを収穫した跡地に、カワラバト(ドバト)が群れて何かをついばんでいた。行く時と帰る時には1時間近くの時間差があったのだが、ほぼ同数のハトが居た。ずっと居たのか、入れ替わったのかは分からない。
 北海道新聞の夕刊では、死者19人、心肺停止10人、行方不明9人と出ていた。それらの人達の80%以上は、厚真町の、13キロにわたって山腹崩壊した地域の住宅に居たとのこと。助けられた人の話では、まだ眠っている未明に急激に土砂が流れ込んできて、何が起きたのか把握できず、また逃げる方向も分かないままに、土砂に流されたという。

9月9日(日)
 この日はあまり動かず、菜園や屋内の整理にあたった。娘がCOOPに行ったときは、肉類が払底しているとのことだったので、我が家の近くの東光ストアに行ってみると、ちょうど運搬トラックが入って来て肉類を冷蔵ケースに並べていたので、買っておいた。前日までは無かったバナナも入荷していたので、即求めてきた。
 昨日からは、地下鉄や市電も、節電のために便数を減らしながらも動き始めていた。航空機も、曲がりなりだがほぼ全便が飛び始めたようだ。

9月10日(月)
 私が先日の台風21号以来風邪をひいて、花の奥とのどとがひりついて治らないため、動き始めていたバスで病院巡りをした。帰りに念のためCOOPに寄ってみたが、生鮮食品や牛乳、バンなどは皆無だった。ヨーグルトは並べられていたので、買ってきた。
 ガソリンスタンドやスーパー、コンビニ、ドラッグストアはほぼ全て開店していたが、レストラン関係はまだ開店していない所が多かった。また、東京では毎月5日に発売され、札幌で2日ほど遅れて店頭に並ぶはずの週刊誌が、まだ届いていなかった。
 菅官房長官が午前の記者会見で、『今回の地震での死亡者は44人、心肺停止と安否不明はいずれもゼロ』と述べた。死者の内訳は、厚真町で36人、札幌市で4人、苫小牧市で2人、むかわ町と新ひだか町でそれぞれ1人とのことだった。行方不明者の捜索としてはこれで打ち切り、被災地再生の支援に切り替えるとのこと。
 ただ地震発生の翌朝もそうだったが、菅官房長官の発表する数字と直近のTVで放送される数字にいつもズレがある。今夜のTVのニュースでは、死亡者の総数は40名と報道されている。計算や集計方法、あるいは情報源にズレがあるのだろうか。
 なおここまで、
多くの親戚・友人・知人や藤沢教会の関係者から、心配の問い合わせやお見舞いのメール、電話、お手紙などをいただいた。大変感謝である。

カテゴリー: 地震, 日々つぶやき, 自然 パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA