初めての寝台特急

 いつものビデオ講座の追加収録の要請があり、また東京・池袋へ行く必要が生じた。前回2月中旬の時には千歳空港の猛吹雪のため、往復で3日のロスがあったので、今回は往きのみ列車を利用することにした。
 列車は寝台特急の『北斗星』である。40年ちかく前の学生時代には、急行の夜行列車の座席指定で、函館本線、青函連絡船、東北本線(時として常磐本線)経由で、ほぼ23時間かけて上野まで行ったものだ。函館本線で函館駅に近づく30分ほど前になると最前列の列車に移動し、函館駅に着くと列車が停止する前に飛び降りて、連絡線の改札口に走って行ったものである。当時の連絡線の3等船室は広い畳敷きで、早く行った者から、横になるスペースと枕を確保するのである。遅れると身を置く場所すら確保できず、青森港に到着するまでの4時間半を、冷たく硬い通路などに座り込んで耐えなくてはならなかった。

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 札幌駅5番ホームにて

 青函トンネルが出来てから、まだ一度もトンネルをくぐったことがない。札幌から上野までの寝台特急の費用は、千歳・羽田間の飛行機の早割り料金の倍以上かかる。しかしビデオ収録のスタジオ利用の時間割は決まっている。前回は飛行機の欠航で迷惑をかけたので、今回の往きだけをより確実な列車にさせてもらった。
 札幌発4日17時12分。函館までに途中9駅に止まり、函館を21時48分に出発したあとは、青函トンネルをくぐり、仙台に翌5日朝4時54分に到着するまでは、途中では停車しない。仙台から福島までは、花らしいものは菜の花くらいしか気付かなかったが、南下するにつれてウメ、ツバキ、サクラ、ハクモクレンなどが車窓から見られた。上野に着いたのは9時38分で、所要時間は16時間26分であった。
 妻は我が家の墓地の整理のため藤沢へ。私はすぐ池袋のスタジオに入り、収録を始めてもらった。当初予定していた部分の収録は順調に終ったが、法改正が非常に多かったため、過去に収録した物の撮り直しが多くあって、この日だけでは撮りきれなかった。
 翌6日は、実はネットのお友達とオフ会でお会いして、2時間ほどお話しできる予定だったが、遅れる旨の連絡をしておいて、急いで収録してもらい、だいぶ遅れて約束のホテルに向かった。初めてお会いした方であったが、メールなどで幾度かお話していたので、初めてという気はしなかった。1時間弱のお話し合いの中で、お互いに励ましあえることがあり、有意義であった。
 時間が来てお別れしたが、妻に可愛いストールをお土産に頂いた。羽田にはちょうど良い時間に到着し、飛行機も何の障害も無く定刻に新千歳空港に到着した。前回の吹雪による欠航や”いらいら”が嘘のようであった。

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