八ヶ岳から伊那盆地へ

 2002年9月18日、新宿を出発した高速バスは中央道を一路伊那盆地へ向かった。途中、八王子までの5か所で乗客を乗せたあとは1か所でトイレ休憩があるだけで、あとは長野県の辰野まで停車なしで走るのである。出張でこのバスに乗った私は、双葉サービスエリアまでうとうとと寝込んでいた。
 やがて右前方に八ヶ岳の怪異な姿が迫り、そのコブの数がバスの動きとともに変化して、最後は丸みを持った3つの峰がバランスよく並んだ。刻々と変化する山の姿を眺めているうちに、この八ヶ岳と富士山とにまつわる民話を思い出したので、若干脚色を入れて書いてみたい。

1_2-oosawa_yatsu 富士山と大沢崩れ                                                     八ヶ岳の各ピーク

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◆ むかーし昔、まだ人間と神様が自由にお話しできた頃のこと、富士山と八ヶ岳とは双子のようによく似た山でな、どちらもすうっと裾を引いておって、ほれぼれするようであったそうな。
◆ この二つの山は、はじめは仲が良かったのに、どっちが背が高いかで言い合いを始め、それがうるさくて眠れなくなった人々が、神様に「何とかしてよ!」と頼みに行ったんだ
と。そこで神様は「よしよし、白黒つけてやるぞ」と腰を上げると、長い長い樋を作って、両方の山の頂上に架け渡して、その真ん中に雨を降らせたんだと。
◆ そうしたらな、始めは樋の真ん中でぐずぐずしていた水は、八ヶ岳がこっそり背伸びをしたために、富士山に向かってどーっと流れて行ったんだそうな。そこで神様が八ヶ岳を指差してな、「ヤツが、タケぇ!」と叫んだんだとさ。
◆ さあ面白くないのは富士山だ。その晩げにな、ついにぶちきれて足を出すとな、眠っていた八ヶ岳の頭を思いっきり蹴飛ばしたんだと。
◆ だからな、八ヶ岳の頭は今のようにでこぼこになっちまって、蹴飛ばされたかけらは北西に転がってな、今の蓼科山や霧が峰になったと。西側に転がったかけらはあたりの川をせき止めたために、諏訪湖が出来たんだと。
◆ 富士山もな、足を出した所が崩れてしまって、大沢崩れと呼ばれるようになったんだが、いまだに治らなくて崩れ続けているんだそうな。
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 翌日は快晴となり、夕方に仕事を終えた私は、天竜川によって作られた広い伊那盆地を、新宿へ向かうバスに乗って北上した。いま伊那盆地は、リンゴの主要品種の出荷が盛りを過ぎたとは言っても、まだ赤や淡い緑の実を付けている木も多く、目を楽しませてくれている。盆地の西側、中央アルプスの裾を中央道が通っているため、バスは日陰を走っており、右手東側の盆地で実りを迎えている稲穂の黄金色もややくすんで、宵寝の準備をしているようであった。
 はるか東側の南アルプスにはまだ残照が射しており、そこへ中央アルプスの山影がじわじわと登っていく様子が愉快であった。また西側ですっかり黒ずんだ木曽駒ケ岳と、東側で南アルプスの上に顔を出してまだ陽の当たっている甲斐駒ケ岳とを左右に眺めて、何となく愉快な気分になった。

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