札幌の初夏とタンポポ

 5月22日、私と妻とは朝一番の飛行機で札幌に向かった。今回は3日間のスケジュールであり、札幌市内での用事が多いので、旭川の長女の所や北見の長男の所に顔を出すことを、あきらめた。
 新千歳空港から「北海道の春真っ盛り」の中をJRで札幌市内へ向かう。途中の各住宅の庭ではチューリップを植えている所が多く、色々な形の色々の色のものが咲いていた。またピンク、紫紅色、白などのシバザクラも多く、柔らかな「面」としてパッチワークのように拡がりを見せていた。樹木の花では、普通のサクラは既に終わっていたがヤエザクラが満開であり、ライラックやナナカマドも咲き誇っていた。暖かくて、もう初夏のような天候であった。
 滞在していた3日間ともに快晴ではあったが、日中はモヤがかかったようにぼんやりしており、朝陽・夕陽が赤黒く濁っている。訊くと、最近シベリアで発生した山火事の煙が、大陸と日本海を越えて流れてきているせいだとか。

1_2_3-Sapporo-Woody_Fjowerライラック         ヤエザクラ          ハクサンチドリ

 札幌市は、人口は180万人を超えて全国で5番目という大都市になった。面積は全国で3番目の大きさ。すぐ近くに石狩湾があるのに、市域には海がない。海岸線に一番近いところで、400メートルしかない。西部、南部は山がちで西は洞爺湖、南は支笏湖に通じており、山岳部の奥深くにはヒグマも生息している。私達が札幌の南東部の郊外に住んでいた頃、自宅の玄関前にキタキツネが座っていたことがある。
 市街地の都市化の波は日本のほかの都市のように急激なものがあり、北、東に住宅地が拡がり、都心部には20階から30階建てのマンションが何本も建っているのであるが、郊外はまだ豊かな緑に囲まれている。国指定天然記念物の原始林のある藻岩山(もいわやま、標高531メートル)と円山(まるやま、標高226メートル)、その間にジャンプ台で有名な大倉山。さらに奥には大きなスキー場のある手稲山など。そして市街地のすぐ東に拡がる野幌(のっぽろ)の原始林。これも天然記念物である。
 私達が歩いてきた山道で、上右の写真のような花が1本咲いていた。帰宅して図鑑で調べてみると、ハクサンチドリであった。
 山道を歩いていて、開けた場所に出たとき、目の前に一面のタンポポが咲いていて、花を踏まないように歩くのが不可能なほどであった。

4-Sapporo-TampopoField タンポポのじゅうたん

 これらは、ほとんどがセイヨウタンポポでありエゾタンポポはわずかしか見られなかった。北海道の開拓史時代に、救荒対策の食用植物としてセイヨウタンポポが移入され、それが勢力を伸ばしてきたのだという。
 今回特に驚いたのは、日当たりの良い場所に咲くセイヨウタンポポの花が大きいことである。下の写真で10円硬貨と比較しているが、10円硬貨は直径24ミリ、そして花の直径は70ミリ。図鑑の表示でも35ミリから50ミリとあるので、これは相当に栄養の行き渡ったところなのだろうか。特別小さい花と並んでいる写真を、下右に掲載してみた。

5_6-Sapporo-BigTampopo                        大きなタンポポ(直径70mm)         タンポポの大小

 またやはり子どもの頃に、山道の日陰で咲いているタンポポの茎が陽を求めてぐんぐん伸びているのを見た。当時は子どもの目から見て60センチくらいに思えた。私が若干成長した今、この日に見つけた最長のものはほぼ45センチで、もっと長いものがありそうに思えた。
 このタンポポの原を去るとき、近くの木立の中からコルリの声が聞こえてきた。久々の札幌散歩で、自然からプレゼントをもらったような気がした。

7_8_9-Sapporo-TampopoSekka_Long                             タンボポの石化      せいたかタンボポ-A せいたかタンボポ-B

 私の子どもの頃の市街地は小さく、小・中・高校時代の校歌には、藻岩山と豊平川が必ず歌われている。豊平川は市街地の南西奥の山中から流れ出し、定山渓という古い温泉地を貫流した後、札幌の市街地南部の扇状地を形成しながら市内を北上して、石狩川に合流している。
 この山と川によって育てられたようなものであるが、そのどこにでもタンポポの景色の記憶がある。樽型おにぎりのようなつぼみ、おしべとめしべの区別がわからなかった黄色の花。花が終わって一旦しぼんだ花の頭のうらぶれた茶色、そして種が実ってウソのように真っ白にふくらんだ綿毛。飛んでいく種子。坊主になった花茎の頭。
 小学校5年生のとき、夏休みの宿題の自由研究で、タンポポの花びらの数を調べたことがある。200本くらい調べただろうか。実に根気の要る作業だった。しかし結果はむなしかった。数が150前後から300ちかくまでばらばらであった。しかも花の中心部は細かな花弁が密集して開ききっておらず、数える時期が早すぎるものがあった。統計的にグラフで整理してみるという知恵もなかった。
 コスモスにしておけば良かったと後悔したものだった。夏休みが終わってノートに書いた記録を提出したとき、担任の先生は一瞬絶句した後、「よくやったね」と一言。それ以上の評価はなかったが、一応満足したのを覚えている。

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