ご無沙汰回復の旅-2 吉祥寺、横浜

※ 10月23日(月)

 会津若松の東横インで朝食を摂り、昨夜予約した高速バスターミナルに行くと、予約した新宿行きのバスは運休になったという。東北新幹線は動いているというので、郡山駅までの高速バス・チケットに買い替えて、郡山に向かう。
 郡山駅で聞くと、東京近辺のJRのうち、乗車を予定していた湘南新宿ラインは運休しているとのこと。とりあえず東京駅へ出ることにして、東北新幹線の切符を購入。乗車券は、私は吉祥寺まで、妻は藤沢まで、新幹線は8:49発「やまびこ124号」の指定席。
 東京駅で妻と分かれて、妻は藤沢・辻堂へ、私は一旦東京駅南口で外へ出て東京中央郵便局へ。以前買い損なっていた、何年か前の発行切手を探したが、もう昨年より前に発行されたものは処分しているとのこと。昔は、在庫しているものはどんなに古くても額面で販売していたのに、民営化されてからは収益が優先しているのか。趣味の切手販売店の利益に貢献していることは間違いない。
 ここから中央線で吉祥寺へ。11時過ぎには到着したので、吉祥寺駅の近くで昼食をとり、相手先へ電話。「待ってるよ~」とのこと。地図を頼りにして13時過ぎに到着。
 祖母の従弟にあたるこの人は80歳で、私は55年ぶりの再会。互いに年齢を重ねて、「歳をとったねぇ」と微苦笑。この人の父上は、私の祖母より3か月遅くに生まれたのだが、血脈上は”叔父さん”であり、祖母は生前この叔父さんには礼を尽くしていた。
 私から見てこの”叔父さん”は”大大叔父さん”ということになるのか?とにかくこの方が、生前、熱心に関係する身内の家系図をまとめておられたことを覚えていたので、今回お邪魔する前にそのまとめておられたという家系図の存在を確認しておいた。
 家系ごとに1枚ずつ記載されており、それらを全てコピーしておいて下さった。この人の本家は、現在の会津美里町・尾股地区の名家で、先祖は藤原義政との記載がある。頂いたコピーの中には、私が若い頃に交流し、その後は双方の都合でご縁のつながりが切れた方たちの懐かしい名前が多く散見された。聞いた話では、亡くなった人も多い。

 15時にこのお宅を辞して、吉祥寺駅から井の頭線、東横線、みなとみらい線を経由して横浜の馬車道駅へ。私が定年まで勤務していた会社の横浜支店で、OB会の世話をしてくれて、11月には退職する女性に会った。大変お世話になっていたので、食事に誘った。
 ちょうど翌日からOB会の文化展示会があり、その陳列を終えたという2階のホールで展示品を見ながら、紙コップのお茶を飲みながら話し込んだ。私の良く知るOBの消息をいろいろと聞いた。懐かしい名前を多く聞いたが、故人になられた方も多く寂しかった。
 現役の後輩たちで、会社の社長や役員になった人もいるが、課長クラス以下の若い人たちはほとんど記憶には浮かんでこなかった。
 結構な時間になるまで話し込み、彼女の遠慮もあってか、関内駅の近くのそば屋で簡単に食事を済ませて別れた。奨めるだけあってそれなりに美味しかった。妻が先にチェックインを済ませていた藤沢駅北口の東横インに着いたのは、22時ちかくだった。
 妻は辻堂での仕事の後、藤沢で旧友1人と会って一緒に食事を摂り、久しぶりの会話を楽しんだようだ。

カテゴリー: 交通, 思い出, 旅行, 日々つぶやき パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA