入れ子細工、箱根からロシアへ

入れ子細工のはじまり
 木製の人形の胴体を上下二つに割ると、中から一回り小さな人形が出てくる。それを割ると、また一回り小さな人形が・・というようにだんだん小さくなりながら何個も人形が出てくる。これを「入れ子細工」と呼ぶ。
 入れ子細工はろくろを使った挽物細工で、古くは僧侶が用いた「応量器」と呼ぶ食器にその始まりを見るという。これは木で挽き出した大振りの飯椀の中に一回り小さな汁椀が入り、さらにまた小さな椀、皿などが5つ程の組み合わせになって、それぞれ黒又は朱の漆で仕上げられていた。
 箱根は東海道の要衝として古くから開かれ、奈良時代には温泉場として知られていた。江戸時代初期には湯治場としてにぎわうようになり、江戸からの湯治客が集まるようになった。江戸時代中期以降、東北や信越の木地師が箱根に集まり、寄木細工や挽物細工の技術が磨かれていった。

01-02Eggs箱根の十二卵(田中一幸氏作)左端は実際の鶏卵のLL玉ほど。右端は13番目のヒヨコ

箱根の十二卵と七福神の入れ子(組子)
 こうした木地師達が、挽物をいかに薄くまたは小さく挽くかを競っていた江戸末期に、信州松代から箱根に流れてきた木地師、信濃亀吉がその技術を応用して、卵形の入れ子細工を考案したのが十二卵の始まりである。
 箱根ではこの入れ子細工を組子(くみこ)と呼ぶそうである。箱根での入れ子細工としては、この十二卵のほかに福禄寿を親とする七福神や、七福だるま、ふくろう等がある。七福神や七福だるまにはそれぞれの絵柄を描く「絵師」がいて、しっかりとした筆運びで豊かな表情を作っている。

02-7fukujin-byTanaka-610x250箱根の七福神(田中一幸作)左端の福禄寿は高さ約11.5センチ 円内は田中一幸氏

挽物技術の東北地方への伝播
 箱根の木地師が開発した足踏みろくろによる挽物の技術が、入れ子細工の技術と共に明治初期に東北地方に伝えられ、この東北各地にすでにあったこけし作りなどの挽物の技術を飛躍的に向上させたという。山形・蔵王では箱根の入れ子細工と同じ構造を持つ「五つだるま」や「福禄寿」が作られたというが、現存するかどうかは確認できていない。
 こうした箱根の木工製品は、江戸時代から湯治客や箱根を通過して行く旅人の土産物として評判を呼んだ。江戸時代末期には江戸の町でも販売され、開港後は横浜や下田からも海外へと販路を広げた。

  03-04ろくろを挽く田中一幸氏  四つふくろう、七福だるま、十二卵、三十六卵、七福神

入れ子細工、ロシアへ
 明治維新で日本が鎖国を解除すると、多くの外国人が商業、宗教、観光を基盤として日本を訪れるようになった。中でもロシア正教会のニコライ大主教が、東北地方の旧武士階級の共感を得て布教を広め、日本正教会として東京で聖堂を建てるまでになった。また将来修道院にするために、箱根の塔ノ沢に避暑館を建て、関係者の休養と研修を兼ねた施設とした。
 ここに宿泊したロシアの人達が、土産物として入れ子細工を母国へ持ち帰り、それに目をつけた当時のロシアの鉄道王・マントフの夫人が試作させたのが、今のロシアの郷土玩具となった入れ子細工「マトリョーシカ」になったと言われている。このときモデルになったとされる箱根の七福神が、今もザゴルスクの玩具博物館に展示されているとか。

05-Matoryoshika-610x3001986年にモスクワで入手したマトリョーシカ(8体組)

入れ子細工のその後
 寄木細工や入れ子細工、象嵌細工などの木工は、細かな技術と根気の要る手作業であり、箱根でもご多分に漏れず後継者が減っている。中でも入れ子細工の技術者は少なく、特に十二卵の作者はもう田中一幸氏だけになっていて、後継者も居ないとか。また七福神や七福だるまも、絵師として丁寧な表情をつけられる人が減ってしまっていると言う。
 これに対して、ロシアで作られたマトリョーシカは、マントフ夫人の見込みの通りロシアの郷土土産としてすっかり定着し、今ではロシア各地だけでなく、旧ソ連圏のいくつかの国や、中国の北方でも製作されていると聞いた。箱根の入れ子細工師、田中一幸氏のマトリョーシカについての 感想では、シラカバ系の雑木を使って、節のある部分も構わず使っていてやや雑だが、胴体と頭部の間に「くびれ」があり、中子もくびれがあって、それぞれがうまく納まるように作ってあることに感心されていた。そして非常に安価で、人件費の面で日本では考えられないと言っておられた。

06-All-Members-610x250日露の入れ子細工人形の大きさ比較(左3体が日本製、右4体がロシア製)

マトリョーシカのいろいろ
 マトリョーシカについては、色々のパターンが作られるようになった。中でも私が感心したのは、下の写真にあるロシア(旧ソ連含む)の指導者の似顔を描いた10人入れ子である。胴体と頭部の間のくびれを大きくして、現在の大統領・プーチンを親に、以下エリツィン、ゴルバチョフ、ブレジネフ、フルシチョフ、スターリン、レーニン、ニコライ二世、エカテリーナ女帝と続き、最後にピヨトール大帝が入る。
 この10人入れ子のタイプには、ほかに可愛いレース柄の服装の女の子の絵(皆ほぼ同じ柄)の物があり、何通りかのパターンがある。他にも、ひとつの親人形の中に同じ大きさの小さな人形が5個から7個入っているものもある。このタイプも「入れ子」と呼ぶのであろう。

07-Russia-Eritsuinx10-610x200旧ソ連を含むロシアの歴代指導者のマトリョーシカ

絵付けのない白木モノのマトリョーシカ
 この10人入れ子のマトリョーシカには、自由に絵付けのできる白木のものも日本に輸入され、それに絵付けをして展示会や販売会をしている人たちが居るそうである。他に、インターネット通販で下記のような白木モノが買える。

08-09        人形型の5つ入れ子          卵形の3つ入れ子

ジノリさんのマトリョーシカ
 このホームページに相互リンクしていただいているジノリさんが、お持ちのマトリョーシカの画像を送ってくださったので、ここに紹介する。

10-11一つくびれの5人入れ子        二つくびれの5人入れ子

田中一幸氏のほかの作品
 信濃亀吉の三十六卵は箱根町郷土資料館に、また田中氏の力作である三十六卵は神奈川県立歴史博物館に、展示されている。親卵の高さはおよそ18センチ。この作品を完成させるには、今では1ヵ月以上かかるとか。田中氏は「これを1組作るより十二卵を10組作るほうが楽だよ」と笑っておられた。

12-14三十六卵・親は高さ18センチ(写真:田中一幸氏提供)

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