ご無沙汰回復の旅-3 神戸

※ 10月24日(火)
 藤沢の東横インで朝食を済ませ、妻はもう一人の友人に会いに行き、私は以前住宅を建築した時にお世話になった人に、現在の彼の現場を案内してもらった。彼には、15年程前に、奈良県生駒市の従兄の自宅の耐震診断に同行してもらったことがある。
 そののち妻と合流し、
藤沢駅から横浜駅経由で新横浜駅へ。ここで駅弁を買って東海道新幹線のぞみ31号(12:29発)に乗車。新神戸までわずか2時間25分。その昔、SL特急の「つばめ」が東京=大阪間を7時間30分で走って目を丸くした時とは隔世の感である。
  新神戸駅には定刻の14:54に到着。聞いていた「らんぷミュージアム」をタクシーの運転手に告げて10分程で到着。2階の洋装品店で待ち合わせをしていた婦人に会う。

 この婦人は、私の両親の仲人をしてくださったご夫妻の長女で、ことし90歳。私が8歳と20歳の時に神戸を訪れて会っているが、それ以来55年ぶりの再会である。
 今回の訪問を前にネットで調べると、彼女は神戸のファッション業界の重鎮で、森英恵さんに続いて、20年前に女性としてパリコレクションにオートクチュールを出品している。個人的には市内にファッションショップ「マーガレット」を経営しており、今回待ち合わせた店”SOL DE SOL”は、この婦人が可愛がっている女性Kさんが経営している。
 来年、婦人の90歳長寿記念、マーガレット開店50周年、そしてパリコレ出展20周年のけじめとして、仲間たち20名ほどで、パリでお祝いしてくれるのだという。
 相手が私のことを昔通り”マー坊”と呼ぶので、私もつい”お姉ちゃん”
と呼び合っていること気づき、お互いに苦笑いをした。そのお姉ちゃんがよく行くという料理店の個室でKさんも含めて、フランス料理をごちそうになった。
 そのあとは、Kさんの車でポートピアを案内していただき、夜景やメリケンパークの淀川長治氏を記念したメモリアルアートビレツジを楽しんだ。
   この石碑は、昭和62年(1987)に映画記念碑を建てる会によって建てられた。中央部分を四角く切り抜き、スクリーンにみたてた石碑の前には、客席のように石が埋めてある。この石には、淀川長治氏が選んだ国内外の映画スターの名前が、一人ずつ刻まれている。お姉ちゃんもダグラス・フェアバンクスの名を刻んだ石に出資したとか。

※ 10月25日(水

 前夜、神戸市営地下鉄の湊川公園駅前の東横インに宿泊。朝食をいただいた後、早めに出て地下鉄で1駅の大倉山公園へ。ゆっくりとした坂道を上ると、ゆったりとした樹々の間にゲートボール場やテニスコートがある。ブラタナスの樹も多く、実も落ちていた。
 後から来てくれたお姉ちゃんを出迎えて公園の一番奥へ向かうと、小高い広い丘の上に、「神戸空襲を記録する会」が発起して建ててくれた「いのちと平和の碑」があった。
 石碑の裏側にはステンレスの銘板がはめ込まれており、毎年判明した犠牲者の氏名を追加で彫り込んでいるという。私の母と弟の氏名が刻まれているのを確認できた。
 以前、私がこの件についてブログにアップした時、藤沢で親しくして頂いていた婦人のお父様も同じ空襲で亡くなられているので、確認してほしいと言われていた。今回はその方のお名前も確認できたので、写真に撮って帰宅後にお送りした。

 3人でこの石碑にお参りを済ませてから、タクシーで三ノ宮駅近くの”西村珈琲”へ行ってサンドイッチとコーヒーで昼食をいただく。ここでお姉ちゃんと分かれ、駅前から高速バスで直接関西国際空港へ。定刻の15:40発JAL2505便で無事に帰郷・帰宅。
 お姉ちゃんは独身を通して両親を見送り、車のメカニックの世界で名を上げ始めていた弟を20年前に亡くした。妹が2人居るが遠く離れて暮らしている。私たちが帰宅した後は、頻繁に電話や手紙でやり取りするようになった、あの前向きの元気さから見ると、私たちも元気をもらえて、だらだらしては居られないという気にさせられる。

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ご無沙汰回復の旅-2 吉祥寺、横浜

※ 10月23日(月)

 会津若松の東横インで朝食を摂り、昨夜予約した高速バスターミナルに行くと、予約した新宿行きのバスは運休になったという。東北新幹線は動いているというので、郡山駅までの高速バス・チケットに買い替えて、郡山に向かう。
 郡山駅で聞くと、東京近辺のJRのうち、乗車を予定していた湘南新宿ラインは運休しているとのこと。とりあえず東京駅へ出ることにして、東北新幹線の切符を購入。乗車券は、私は吉祥寺まで、妻は藤沢まで、新幹線は8:49発「やまびこ124号」の指定席。
 東京駅で妻と分かれて、妻は藤沢・辻堂へ、私は一旦東京駅南口で外へ出て東京中央郵便局へ。以前買い損なっていた、何年か前の発行切手を探したが、もう昨年より前に発行されたものは処分しているとのこと。昔は、在庫しているものはどんなに古くても額面で販売していたのに、民営化されてからは収益が優先しているのか。趣味の切手販売店の利益に貢献していることは間違いない。
 ここから中央線で吉祥寺へ。11時過ぎには到着したので、吉祥寺駅の近くで昼食をとり、相手先へ電話。「待ってるよ~」とのこと。地図を頼りにして13時過ぎに到着。
 祖母の従弟にあたるこの人は80歳で、私は55年ぶりの再会。互いに年齢を重ねて、「歳をとったねぇ」と微苦笑。この人の父上は、私の祖母より3か月遅くに生まれたのだが、血脈上は”叔父さん”であり、祖母は生前この叔父さんには礼を尽くしていた。
 私から見てこの”叔父さん”は”大大叔父さん”ということになるのか?とにかくこの方が、生前、熱心に関係する身内の家系図をまとめておられたことを覚えていたので、今回お邪魔する前にそのまとめておられたという家系図の存在を確認しておいた。
 家系ごとに1枚ずつ記載されており、それらを全てコピーしておいて下さった。この人の本家は、現在の会津美里町・尾股地区の名家で、先祖は藤原義政との記載がある。頂いたコピーの中には、私が若い頃に交流し、その後は双方の都合でご縁のつながりが切れた方たちの懐かしい名前が多く散見された。聞いた話では、亡くなった人も多い。

 15時にこのお宅を辞して、吉祥寺駅から井の頭線、東横線、みなとみらい線を経由して横浜の馬車道駅へ。私が定年まで勤務していた会社の横浜支店で、OB会の世話をしてくれて、11月には退職する女性に会った。大変お世話になっていたので、食事に誘った。
 ちょうど翌日からOB会の文化展示会があり、その陳列を終えたという2階のホールで展示品を見ながら、紙コップのお茶を飲みながら話し込んだ。私の良く知るOBの消息をいろいろと聞いた。懐かしい名前を多く聞いたが、故人になられた方も多く寂しかった。
 現役の後輩たちで、会社の社長や役員になった人もいるが、課長クラス以下の若い人たちはほとんど記憶には浮かんでこなかった。
 結構な時間になるまで話し込み、彼女の遠慮もあってか、関内駅の近くのそば屋で簡単に食事を済ませて別れた。奨めるだけあってそれなりに美味しかった。妻が先にチェックインを済ませていた藤沢駅北口の東横インに着いたのは、22時ちかくだった。
 妻は辻堂での仕事の後、藤沢で旧友1人と会って一緒に食事を摂り、久しぶりの会話を楽しんだようだ。

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ご無沙汰回復の旅-1 会津若松

 終活の一環として、先祖の墓参りやご無沙汰している人たちに会うため、妻と二人で10月22日から25日にかけて、東北から関西まで旅をしてきた。

※ 10月22日(日)
 5:30起床。新千歳空港外の駐車場に車を預け、送迎バスで空港へ。台風21号が猛烈に発達しながら九州の南に進んできているため、千歳では前線が刺激されてかもう雨。
 JAL2900便は予定通り出発したが、仙台空港にはやや遅れて着陸したため、予定の鉄道・アクセス便と東北新幹線はそれぞれ1便遅れた。郡山からの磐越西線は予定通りの便に乗れたので、駅弁を買って車内で食べ、雨の会津若松駅には12:59に到着。
 駅前の案内所で、私たちの行きたい先を言うと、「まちなか循環バス」1本で乗り継いで行けるという。30分ピッチ程度で走っているのでそれに乗った。最初は歴代の松平藩主が愛したという御薬園の近くにある我が家の菩提寺・井上浄光寺に向かう。御薬園近辺のバスコースが工事中のため、外れた場所で降ろされ、少し迷ってお寺に着いた。
  予告していなかったのでお寺は留守。電話をかけると住職の夫人の携帯電話に転送されて、我が家の墓所の位置を尋ねる。指定された場所に確かにあり、家紋と、墓標裏に彫られた祖父の名前を確認してお参りした。質素ながら、白御影で作られていた。
 その隣に、我が家と同じ家紋の別姓の墓標が並んでいたので驚いた。何らかの関係があるのだろう。後日住職に聞いてみよう。庫裡の郵便受けにお布施を入れて出発。
 御薬園にも行きたかったが、雨が止まないので、飯盛山(いいもりやま)へ行くことにした。相変わらずバスの乗り場が分からないためタクシーを止めて乗車。応対の丁寧な運転手の案内で、「雨で大変だから」と、飯盛山の登山口まで入ってくれた。
 この飯盛山には、私が卒論の課題
のひとつに選んだ「栄螺堂(さざえ堂)」がある。日本で唯一の木造・螺旋昇降式搭堂で、妻にもぜひ見ておいてほしかった。内部は右回りの1.5層で最上部まで登り、最上部で反対側に渡って今度は下降して、最後は裏側へ出るため、動線がぶつからないという二重螺旋形式になっている。
 建物名は「円通三匝堂」。回廊軸部には仏壇がしつらえられていて、それぞれ33体の観音像が祀られていたというが、今は開基の僧・郁堂の像が入口正面にあるのみ。   仏教思想の右へ3回巡るという「右繞三匝(うにょうさんそう)」の基本に基づいており、卒論提出の時に、貝のさざえの殻をタテに挽いて半分に割ったものと、さざえ堂のスロープの動線模式図を作成して研究室に提出した。もう50年前になる。
 このように参拝者の動線が交わらないように、33体~100体の仏像を参拝できるようにした堂宇は、東北から北関東まで6棟ある。いずれも江戸後期から明治初期に建てられていて、いずれも参拝者の動線がぶつからないように工夫されているのだが、二重螺旋式の参拝通路にしてあるのはこの会津若松のさざえ堂のみである。

 帝国ホテル旧館を設計し、1923年に完成させたのはアメリカのフランク・ロイド・ライト。彼がニューヨークで設計し、1949年に完成させたソロモン・R・グッゲンハイム美術館は、独特の螺旋式美術鑑賞ホールを持っている。彼は1917年に来日して日本の各地を歩き、帝国ホテルに使用する石材から調度品に使う木材の選定に至るまで、徹底的に管理したという。その際にこの会津若松のさざえ堂を目にして、螺旋ホールの発想を得たということも考えられるのではないか。
 さざえ堂から出ると20名ほどの観光客が集まっていて、雨の中、傘を差しながらガイドの説明を聞いていた。このすぐ下には、白虎隊の戦士が鶴ヶ城の焼け落ちるのを見ながら、自刃した場所がある。しかし雨がひどくなってきたのでパスした。
 タクシーで会津若松駅に戻り、東横インにチェックインしてから、駅で切符を買っておこうと「みどりの窓口」へ行くと、明日の午前中の磐越西線は、台風の影響のため始発から運休とのこと。新宿までの高速バスは走るというので発券してもらい、早めの夕食を近くのラーメン屋で済ませてからホテルに戻った。

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旅に出ます

 明日から、東北⇒関東⇒関西へと温故の旅に出る。祖父母が会津若松で眠る墓地のお参り。吉祥寺で健在の、祖母の従弟との55年ぶりの出会い。私の会社退職時からOB会の世話をしてくれた人との、定年退職前の食事。妻の藤沢での友人たちとの再会。
 神戸市の大倉山公園に完成していた「神戸空襲の死没者記念碑」に刻してもらった、生母と弟の氏名の確認。私の両親の仲人をしてくれた方の娘さんとの60年ぶりの再会。
 上の手稲山には、父が亡くなる直前に監理して完成させた警察無線の鉄塔が立っている。ただし今のものが、父が関わった頃のものとは限らず、更新されているとは思うが、何となくいつも父に見られているように思うのは感傷か。
 山頂には、すでに積雪があり、今日は右端の東北の斜面に少し見える程度。木々の葉はほぼ落ちていて、紅葉は山麓まで降りてきて今が盛りである。

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秋は超特急

 晴れ・高気温、雨・低気温が交互にきて、今は暑熱期から一気に寒冷期の入口へ来てしまった。昨日からは全国的に低温と雨で、沖縄を除いて冬の様相である。
 10月8日には子供たち・孫たちが集まったので、ベランダでバーベキューパーティーをした。残念ながら息子の子供は塾の模試があって来れなかった。これから屋外では寒くなるので、今度は屋内での食事会をしようと思う。
 10月1日に、町内会の温泉旅行に付き合ってキロロに行ってきたが、その時に寄った赤井川村の道の駅でオモチャカボチャを見つけて購入し、本棚の一部に飾っておいた。バーベキューの時に娘が持参したオレンジ色の「激辛」ピーマンを一緒に飾った。
 周囲の景色は一気に冬支度となり、15日朝に町内の一斉清掃できれいになった道路に、午後にはもう枯葉が散り敷いていた。自宅の畑も近所の庭も、秋色である。
 10月2日には今年最後のチョウ・モンシロチョウを見つけた。またベランダの庇の下にはクモが巣を張り、そこに引っかかっていたのはすべてユキムシだった。    今は野菜のシーズンも終わって、あだ花がまだ残っているが、もう収穫には至らないだろう。だが刈り取るのもかわいそうで、残してある。
 昨日は南太平洋で台風21号が発生し、北に向かってきているようだ。22日に新千歳から仙台へ飛ぶ予定なのだが、東北地方の天候が何となく微妙ではある。

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急速に秋深まる

 自分の心身にかまけているうちに、季節は一気に秋に突入。朝の気温も10℃を切るようになってきて、まだ雪は見ないが、タイヤ交換の案内が来た。
  初雪が降る半月ほど前に現れるというユキムシ(トドノネオオワタムシ)が飛び始めている。アブラムシの仲間で、体長3~4ミリの小さな体に綿のような分泌物を背負っている。今年はやや多めで、外で歩き回っていると目や口に入ることもある。
 心臓、脳、十二指腸、脊椎、膝関節と、まだ軽度とはいえ医師から欠陥を指摘されている。終活を少し早めないと、後悔することにもなりかねない。
 今月22日から4日かけて、先祖関連の場所や人々を訪問することにした。会津若松の祖父母の眠る墓地。武蔵野市に住む祖母の従弟。神戸市に完成した神戸空襲の死没者祈念碑。そして両親の仲人をして下さったご夫妻の長女(90才になる)。ほとんど妻は知らない場所や人々なのだが、ずっと付いてきてくれるという。ありがたい。

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そして1週間

 その後の1週間は、体調不良が続いてすっきりとはしなかった。ただ、何かしらの用事で動いているうちは、狭心症の発作も出ないので、車での移動程度はできた。

▼ コンサートを聞きに行く(8月13日)
 妻のフルートの先生が、フルオーケストラに出演するということで、招待券を1枚頂いていた。私も前売り券を1枚購入して、地下鉄で1駅の「宮の沢」へ。ここは私たちが楽器を習っているエルム楽器の教室にも近い。会場はちえりあホール。16時から。
 楽団はHIMESオーケストラ。指揮は新田ゆり。演奏曲はモーツァルトの曲が多くを占め、演奏だけでなくソプラノ歌手による歌劇も3曲あった。久しぶりに耳を洗った。
▼ 町内会回覧物配布(8月15~16日)
 今回は月の中の回覧で、部数は少なかった。8名の班長に、17コースの回覧に取りまとめ、各班長に配布。今回は「集団がん検診」の希望を募っている。
▼ 私たちの医療(8月15日~18日)
 妻がもう数年来受診している内科系の病院で、ここしばらく続いている下腹部の痛みを調べてもらうことにし、25日にCTをとってもらうことにした。また最近痛み出した股関節の検査と骨量の検診に行ってきた。やはり脊椎にややゆがみが出ている。
 また私の最近の心臓不調について、かかりつけの医師にとことん調べてもらったのだが、心電図、血液検査、CT検査ともに異常なし。特に狭心症については、それを発症している時に検査しないと、判定できない、ときた。頻脈発症の時と同じ答えだ。入院でもしていないと、不可能なことだ。
▼ 市議会、市幹部との道路問題の打ち合わせ(8月16日)
 道路拡幅問題で、市の側の税金の無駄使いを止めさせるべく、もう6年以上前から市民グループで市との交渉を続けているが、ぬらりくらりと前進せず、また市側の責任者は2~3年ピッチで交代となり、担当が変わる度にきちんと引き継がないため、同じことを繰り返している。この活動の主軸の友人からの連絡で、また市役所に行ってきた。後押ししてくれている議員以外の市の幹部は、逃げ回ろうとする姿勢が見え見えである。
▼ 生物探し(8月19日)
 私たちの参加する北海道爬虫・両生類研究会で、4月29日から8月20日までの間、身辺で発見した爬虫類・両生類のデータと写真を集めていた。私たちは天候不順や体調不良が重なって、ほとんどデータ採りができていない。そのため体調の回復を待って、ぎりぎりの8月19日に、主に藻岩山の南西麓を少し歩き回ってきた。
 ある特定の池には、必ずエゾサンショウウオがいる。ここには数年前から春先にエゾサンショウウオの産卵を確認しに来ていたが、真夏に行ったのは初めて。もう成体化してしまって居ないのではないか、と思っていたが、体調40~60ミリほどの、まだエラのある幼生が40頭前後、泳いでいた。
この小池は陽が射しているのだが、常に冷水が供給されていて、暑くはならない。ここは登り口からゆっくりと歩いて20分程度で登れる。
 登る途中で、藻岩山ロープウェーの真下をくぐる。この山頂の夜景が、日本三大夜景の一つになったと聞いて、驚いた。車や徒歩で何度も登った山なのに、さすがに夜には来たことがない。今度はゆっくりとその夜景を鑑賞することにしよう。
 この山道で見聞きしたのはツクツクボウシ、ヒグラシ等のセミ類の他、キジバト、モズ、シジュウカラ、ハシブトガラ、ヤマガラ、コゲラ、スズメ、ヒヨドリなど。また山の中なのにカイツブリらしい声も聞こえた。少し先の道をエゾリスが横断していった。
 山を下りてから、車で藻岩山の南麓の山鼻川緑地と、住まいに近い平和湖、平和の滝などを散策したが、めぼしい生物には会えなかった。
▼ ギターコンサート(8月20日)
 私がクラシックギターを習っている先生のギターコンサートが、先週オーケストラを聴いたホールのすぐ近くの喫茶店で開催された。
 彼はいま36歳であり、4歳の時からギターを始めて、成人後ドイツ・ケルンの音楽院に留学して腕を磨いたとのこと。演奏は流麗で、ほぼ眼をつぶって、ギターや楽譜はほとんど見ない。倍以上歳をとってから始めた私への指導など、疲れるだけかな。

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その後の半月

 前回アップした後、天候、町内会、健康問題などで、自分自身の体力・気力の衰退を思い知らされた日々だった。
▼ 町内会役員を肩代わり(4月以来)
 私の住む町内会の区域には約1,400所帯が居住し、うち約1,200所帯が町内会に参加している。参加率はほぼ86パーセント。札幌市内では、東部のある区では参加率が60パーセント強なので、こちらの参加率は非常に高いが、交流度合いはやや薄いと感じている。
 この町内会では全体を7つの区に分け、さらにその中を15から30所帯に区切って班長を置く。各区の区長も役員の一員となり、役員会と班長とのつなぎ役となる。
 昨年、会計担当者に不備があり、私の所属していた区の区長が急遽会計担当になったので、私に区長の臨時就任を懇願された。この区長は私よりも7歳若いのだが、非常にこまめな人で、もう7年も区長を続けて、
区内約230戸の事をほぼ把握している。
▼ ラジオ体操(7/26~8/9)
 これは以前にも書いたが、子供たち、特に小学生が夏休みに入るので、健康意識・早起き意識を高めるため、町内会を5か所に分けて毎朝役員主導で実施した。私の担当場所は西野神社の境内で、神社のスピーカー協力のもと、平均で子供が20名、役員を除く大人6名が参加してくれた。1日だけ小雨があったが、樹木の葉陰で濡れずにできた。
▼ 夏休み薄暮パトロール(7/26~8/10)
 町内会を3か所に分けて、役員が分担してこの間6回、17:00~18:00の間、子供たちが外で遊んでいると、声かけをして歩いた。遊んでいる子供を見つけると、自宅の場所を聞き、自宅が近い子供たちには軽く声をかけ、遠い子には早く帰るように促す。
▼神内ファーム21(7/28)
 私たちが10年前に札幌市へユーターンしてきたころ、TVで盛んに神内(じんない)ファームがコマーシャルを打っていた。その時より10年ほど前から、札幌の北北東約30キロの浦臼(うらうす)町で熱帯性果実の栽培と赤毛和牛の飼育・販売を実験的に開始し、
成功を収めている。その創業者は、消費者金融「プロミス」の創業者古河和幸氏。
 赤毛和牛の肥育は順調だったようで、「神内和牛あか」としてTVコマーシャルしている。販売店での価格も、日本の三大和牛よりはやや安い。私たちはフルーツの方に興味があって、マンゴーとドラゴンフルーツ(赤)を求めた。

▼ 五天山園(老人介護施設)のお祭りへの参加(7/29)
 地域の南西の小山の上に、五天山園という老人介護施設があり、区、連合町内会や子供会でその施設を訪問して、デイサービスを含む入所者に踊りや祭り太鼓を披露した。私たちは町内会として顔を出していて特に何かをするわけではなかったが、自分たちの将来について、いろいろと考えさせられるものがあった。
 この五天山園の前庭で、ひらひらと飛び回るヒョウモン系のチョウに出会った。このヒョウモン系のチョウの模様は、上からだけ見てもそれぞれがよく似ているので、翅の裏側も撮影しておいて自宅に戻り、図鑑の確認でミドリヒョウモンと同定した。
▼ 町内会夏祭り関連(2017/7/30、2017/8/3~8/7)
 8月5日(土)と6日(日)の2日間、私の所属する町内会で例年のお祭りを、琴似発寒川東岸の『風の子橋公園』で開催した。7/30午後には、この公園に面した住戸14戸に対して「ご迷惑をおかけします」のチラシを配布。
 8月3日には、鳶職に盆踊りのやぐらを組んでもらい、我々役員はそのやぐらに紅白の幕をかけまわしたり、祭り提灯がけ、調理・販売・招待客用の合計5張りのテント掛けをして、テントの中に小道具をならべておいた。この準備作業は1日で終わった。
 役員だけでは祭りの手が足りないので、お手伝いを回覧で募集していたが、応募は私の妻の他は2名だけ。そこで区内で目星を付けた人に直接依頼して7名が増やせた。
 5日と6日とは本祭り。準備は13時から。子供への発券は15時、大人は16時からとして開催。来場者は総延べ人数で、2日間で800名は超えたのではないかと思っている。大人4:子供6くらいか。食べ物は茹でトウモロコシ、やきとり、おでん、焼きそば、焼きフランクフルト、枝豆、かき氷、ソフトドリンクや缶ビール、生ビール等の販売。
 金魚すくいにスーパーボールすくい、ヨーヨー吊りなどのほかに幼児用の玩具などの販売。さらにビンゴゲームと大人の盆踊り、子供の仮装盆踊り等々。夜は21時まで。
 7日は、7時から櫓やテントなどの解体と、機材の収納等すべての後始末にかかり、10時前には完了した。そのあと予約を入れていた歯科医院と整形外科医院で受診。
▼ 狭心症再発(2017/8/8~8/12)
 祭りの片づけを終わってほっとしたせいか、8日の午前3時頃、心臓を握りつぶされるような圧痛を感じて目が覚めた。狭心症の発症だ。幸いに枕元にニトログリセリンの錠剤を置いてあったので、すぐに舌下に入れ、10秒程で落ち着いた。
 祭りで、本当に久しぶりに体力を使ったせいだろうとは思ったが、気温がかなり高いこともあって体中がだるかった。ほっと油断していたら、翌9日の午前3時頃にも圧痛を感じて、ニトロの世話になった。今度は圧痛が軽減するまで30秒ほどかかった。
 さすがに妻が心配して、かかりつけの循環器内科へ付き添ってくれた。担当医師の予約は17日13時で、この日は居ない。初診と同じく1時間ほど待たされて初めての医師に診察を受け、血液検査と心臓のCTスキャンを取ってもらい、そのあとまた2時間待たされて結果を聞く。結局血液検査の結果にもCTにも異常値なし。現
在処方されている服薬の順序を変えるようにとの指示で、特に薬の処方もなく帰宅。
 10日の朝も5時頃に軽い発作。日中は症状が出なかったので、薄暮パトロールには出た。11日は起床後に軽い圧痛。12日にもあったが、ニトロは服まずに3時間ほどで軽減。その後はさいわいに発症していない。17日には担当医師に診てもらおう。
 私の狭心症は、1996年の2月に初めて発症。鎌倉の徳洲会系の病院で診断を受け、その後医師から「タバコを止めないと、もう診てやらん」と一喝されて、喫煙をスッパリ止めたのが6月6日だった。6並びなので、その日をよく覚えている。

▼ 誤発信の緊急メール(2017/8/9)
 心臓の不調で、かかりつけの循環器科病院に行き、待合室で呼び出しを待っていた時、胸ポケットにマナーモードにして入れておいたはずの携帯電話が緊急信号を発した。同時に病院内のあちこちでそのコール音が鳴り出したので驚いた。
 (テスト)とあって、北海道電力管内での電力の著しい低下と、それに伴って電力消費を控えるようにとの経済産業省・資源エネルギー庁の通達。
 確かに気温が高めだが、北海道で電力需給が逼迫するような状況にはない。その後40分も経ってから、「
一部へのテスト送信のはずだったが、誤って北海道民全員に送信してしまった」と、また緊急で謝罪のメールが入った。

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ラジオ体操

 7月26日、市内の小学校が夏休みに入った。小学生が夏休みになって生活が乱れないようにと、26日から近隣の小公園などに集めて、6時30分からのNHKのラジオ体操の放送を流している。全国の特定会場での体操会の生中継だ。
 私の所属する町内会では、5か所で体操会を実施している。役員がリーダーとして前に立ち、来場する子供たちとともに体操をリードする。
 小学校では児童たちにスタンプカードを配布しており、体操に参加した子供のカードにリーダーがスタンプを捺す。多く参加した子には、最終日にご褒美を渡す。
 私の担当する西野神社の駐車場では、リーダー側3名を別にして、平均すると小学生が15~20名、付き添いの父母やおじいちゃん、おばあちゃんが4~5名で、広い場所の木陰にパラパラと散って、体操をする。雨だけが心配である。
 この神社ではご厚意で、本殿からスピーカーでラジオ体操の放送を流してくれるので、役員はスタンプ以外は手ぶらで行っても間に合うので、ありがたい。

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墓参

 昨日はよく晴れてはいたが、午後には西方から少しずつ白雲が出てきた。午後に墓参を行うべく、車で平岸霊園に出かけた。途中のスーパーマーケットの花屋で献花用の花束を2組作ってもらい、持参した。
 霊園内は緑が茂り、時期外れのせいか車も人も少なかった。まだ息子や娘に我が家の墓地の位置を知らせていないので、管理事務所に寄って案内図をコピーしてもらった。
 我が家の墓地は、春の大雪のため入り込めなかったため、今年初めて来たのだが、少し枯葉が落ちていた程度で、すぐに清掃ができた。
 私の両親と弟は浄土真宗、養母はクリスチャンだったので、西洋式の墓標にして墓誌は別に立ててもらってある。以前藤沢に住んでいた時も、北部の大庭墓苑に建てた墓標には『慈』と彫ったのだが、ここでは『偲』とした。
 なお、この日になって気が付いたのだが、我が家の墓標と同じ区画に『偲』と彫った墓標は、他に2か所あった。
 墓標の香台に彫り込んでもらった家紋は、隅切に中陰蔦(すみきりになかかげつた)である。生前の祖父に聞かされていた話では、隅切角というのは神前に供える三方を上から見たもので、神職にあった家系なのだそうだ。また蔦の文様から葉脈を取り去って陰蔦にしたのは、先祖が蒲生氏郷に仕えていた時代に『忍び』をしており、表紋をはばかって氏郷に頂いた陰紋なのだ、とのことだった。
 ネットで検索すると、蔦(つた)をデザインにした家紋は66種類、うち陰蔦にしたものは12種類あった。我が家の『隅切に中陰蔦』は男紋で、女紋は普通の蔦紋である。
 なお、妻の両親と長兄の眠るお墓も同じ墓地にあるので、寄ってお参りした。

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