愛の国から幸福へ(旧国鉄広尾線)

🚌 昨日は、帯広から北に延びていた廃線・士幌線の、タウシュベツ橋梁跡を訪ねて、その沿線の糠平温泉の糠平館観光ホテルに泊まった。

🚌 今朝は9時40分に宿を出発。15分ほどで旧糠平駅のあった場所に到着。駅舎跡に建設された鉄道資料館前にSL(9600型か)の動輪が展示されていた。資料館の中は、主に全道の廃線になった鉄道地図と、士幌線の歴史の記録などが展示されていた。
🚌 そのあと帯広を経由して、今度は、帯広から南へ84キロの広尾まで走っていた広尾線の廃線跡をたどった。広尾線は1929(昭和4)年に帯広から南下し、襟裳岬付近を経由して様似、浦河を経て苫小牧まで延伸する鉄道敷設計画により着工。1932(昭和7)年に広尾までが開通した。1960(昭和35)年までは、途中に駅を増設したり改名したりはしたが、日高方面への延伸はなく、始発から終点までには17の駅ができていた。

🚌 帯広から3つ目には『愛国』駅、その2つ先には『幸福』駅があり、1981(昭和56)年頃から「愛の国から幸福へ」として一大ブームになり、この間の硬券乗車券の販売額が広尾線全線の売り上げの80パーセントを占める年もあったとか。近くの売店で硬券乗車券を買ってみた。列車は走っていないのでこの切符は単なるお土産で、当然鋏も入れられていない。
🚌 前記の士幌線から帯広経由で広尾線に直通運行する列車もあったが、鉄道運行上は極端な乗客の減少で大きな赤字が続いたため、1987(昭和62)年2月についに廃線となった。士幌線が廃線になったのは、その翌月であった。どちらも国鉄民営化の直前だった。
🚌 私たちのバス旅は幸福駅に寄り、切符の意匠の薄いカードも売られていて、それが駅舎の中ばかりでなく、外壁にまで貼り付けてあった。駅舎の裏には、この線で使用されていたと思われるディーゼル車体が2両残されていた。

🚌 私たちのバス旅は幸福駅に寄り、切符の意匠の薄いカードも売っているようで、それが駅舎の中ばかりでなく、外側にまで貼り付けてあった。駅舎の裏には、この線で使用されていたと思われるディーゼル車体が2両残されていた。

🚌 バスは帯広に戻り、西方の日勝峠にあるレストラン「とかち亭」で、各乗客から事前にガイドに予約しておいてもらったメニューの食事をとった。私たちは十勝牛の牛丼を食べ、併設されていた土産物店でホタテの貝柱のやわらかめのものを買ってバスに戻った。

🚌 バスはさらに日高峠を経て石狩平野に下り、千歳を経由して札幌駅に戻ったのは17時半を少し回っていた。

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