タウシュベツ橋梁を見に十勝へ

🚂 かつて十勝支庁の帯広駅から北へ約78キロの十勝三股駅まで、国鉄士幌線という鉄道が敷設されていた。敷設の目的は沿線の木材搬出が主で、当初はそのまま延伸して三国峠を越え、石狩川の源流・層雲峡を経て、上川支庁上川町まで敷設する計画だった。
🚂 帯広から十勝川の支流、音更(おとふけ)川の左岸沿いに1925(大正14)年に着工し、翌年には上士幌までの38.4キロが開通。その先は糠平(ぬかびら)温泉を経由し、最大2.5%という急勾配を上って、十勝三股まで開通したのが1939(昭和14)年だった。しかし三国峠を抜けて上川に至る難工事に手を付けかねたのと、戦争が始まったりで沙汰止みになった。
🚂 1919(大正8)年に糠平(ぬかびら)地区に温泉の湧出が発見され、1934(昭和9)年には15件の宿で賑わったが、水力発電のためのダム計画が持ち上がり、温泉自体がダムにより水没する計画のため、現在の高台に移された。また士幌線も、帯広から53.6キロの黒石駅から、水没する糠平駅を経て次の幌加駅までの17.6キロを、音更川の左岸から新たにできるダム湖の右岸へ移設された。この時、音更川支流に注ぐタウシュベツ川に架かっていたタウシュベツ橋梁は、線路が撤去されてダム湖に水没することになった。
🚂 その後木材産業の衰退や、人口の減少、三国峠下をトンネルで抜ける国道の開通があって鉄道利用者が激減し、士幌線は国鉄分割民営化の直前、1987(昭和62)年3月に全線廃止となった。

旧士幌線と糠平

🚌 2022年6月1日、このタウシュベツ橋梁をバスで見に行くツァーに参加した。8時30分に札幌駅を出発し、砂川サービスエリア経由で旭川駅前に到着したのが12時20分。

🚌 さらに層雲峡から南下し、14時25分に三国峠に到着。バスを降りて三国(上川、網走、十勝)の3方面の景色を楽しむ。すぐ南西には、十勝岳が白い噴煙を上げていた。そのすぐ下の糠平館観光ホテルに着いたのは14時35分だった。

🚐 糠平館観光ホテルでグループは2つに分けられ、半分の第1班がホテルのマイクロバスでタウシュベツ橋梁跡へ。私達第2班はホテルで小休止して第1班が戻るのを待って、15時に出発。音更川の左岸に残った線路跡をたどって糠平湖上に残る橋梁跡へ。

🚐 この橋梁は、タウシュベツ川が音更川に合流する地点のタウシュベツ川に架けられたもので、旧士別線に架けられた34基の鉄筋コンクリート造橋脚の中で一番長く、両岸のものを含めて12台の橋脚が繋がっている。

🚐 ちょうど雪解け水の流れも終わった渇水期のため、湖底の細流を渡って橋梁全体が見渡たせるところまで降りた。橋脚の両端部はコンクリートが崩れ、鉄筋が出ている状態。また12本の橋脚をつなぐ橋げたのうち中央部の何カ所が崩落しかけている。
🚐 ダムの管理者である電源開発株式会社は、この橋脚は旧国鉄が放棄したもので、国の文化財としての指定もないので、保護や維持に関する考えはないとしている。いずれにしても、いまつながっている部分の多くは、短時日のうちに崩落してしまうだろう。この橋桁を見ることを目的とした今回のようなバス旅も、いつまで続くのだろか。
🚐 なおこの糠平湖は。今回は渇水期だったが、春先などには雪解け水で増水し、橋脚が全て水の中になり、眼鏡を並べたようになるという。

🚐 このあと糠平館観光ホテルに戻り、渡り廊下の先の大浴場で温泉を味わったのち、夕食をいただいて、和室で床に就いた。

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